前立腺がんの抗がん剤が効かなくなった
患者に朗報
前立腺がんは、日本の男性では胃がんに次いで多い。抗がん剤治療が多くなされるが、効かなくなる場合がある。慶應大学グループは、効かなくなった患者に既存の抗ウイルス薬を併用すると、再び効果を得られる可能性があるとの研究結果を、30日京都市で開催されている「日本癌学会」で発表した。来春から治験を始めるという。
通常、進行した場合の治療薬として「ドセタキル」という抗がん剤が用いられるが、使い続けている間に効果が弱まり、再びがん細胞が増殖してしまうケースが少なくない。グループは、抗がん剤が効きにくくなった状態のがん細胞では、遺伝子の動きが変化している事に着目。その変化を打ち消す既存の薬を探していたが、肝炎治療に用いる抗ウイルス薬「リパビリン」に効果があることを見つけ出した。
抗癌剤の効かなくなった患者5人に「リパビリン」を併用した臨床試験を行ったところ、2人ががんの指針となる「PSA]がさがり、うち1人は画像診断で骨に転移していたがんが消えたという。「新たな治療法の一つになる」と、慶応大学の小坂威雄・泌尿器科学専任講師は語る。
~がん克服のために~
千葉県では初、浦安市が医療補助
千葉県浦安市は29日、子宮頸がん予防ワクチン接種による副作用(痛みやしびれなど)の発症者に対し、市独自の医療支援体制を設けると発表した。通院や入院の期間などに応じ、治療を受けた月毎に3万3200~3万6000円の医療手当を支給するほか、医療費の自己負担分も給付する。11月2日から申請を受け付ける。
対象者は以下4項目の条件を満たす人。
①浦安市内で子宮頸がん予防ワクチンを接種した人
②接種後、原因不明の持続的な痛みやしびれ、意志と関係なく手足が動く「不随意運動」などがあり、日常生活に支障が出る。
③市の指定している医療機関で現在治療を受けている。
国にも、予防接種法に基ずく救済制度があるが、支給決定の手続きが遅れており独自に救済する事にした。一方、市内で治療を受けている患者数については「個人情報に該当する」として非公表としている。
患者数を発表するのは、個人情報に該当するか疑問が残る。
~がん克服のために~
血液、唾液でがん早期発見 ~国が支援~
昨年度から国の支援で、健康診断の採決で早期がんを見つけようというプロジェクトが、国立がん研究センターを中心に9機関が参加して進められている。現在、がん検診の受診率が伸び悩んでいるが、血液や唾液で早期発見することが出来ると受信者の負担が少なく、しかも簡易にがんを発見できる。血液などに含まれるがんとかかわる物質は「腫瘍マーカー」と呼ばれ、約40種類見つかっているが、今までは主に進行がんの治療効果を判断するために使われてきた。これをもとにして、がんの早期発見につなげることはできないか。
発症で変動する物質
プロジェクトが標的にするのは、細胞から分泌される「マイクロRNA]とよばれる物質。ヒトのマイクロRNAは2500種類以上あり、血液を調べると300~500種類見つかる。がんになると、その種類や量が変動する。カプセル状の小胞に包まれているため血液中でも分解されず、高速度で検出できる利点があるという。
がんの種類によって特徴的に見つかるマイクロRNAがあり、これらを検出できれば、がんの種類の判別も可能になる。プロジェクトはさまざまながんを一度に調べられる技術の開発をめざし、すでに1万5千人分以上の保存血液を分解した。プロジェクトの責任者である同研究所の落合孝広・主任分野長(分子細胞治療研究)は「乳がんと大腸がんは関係するマイクロRNAの特定を終えており、8~9割の高い精度で診断できるレベルになってきた。体外診断薬としての承認を得るための臨床試験を準備中だ。来年中の承認を目指す」と話す。
承認が得られれば、健康診断の場で早期がんの」スクリーニングも試みる計画。
厚生労働省が科学的根拠があるとして市町村に推奨するがん検診は、肺がん、胃がん乳がんのX線検査、大腸がんの弁検査、子宮頸がんの5種類。だが、負担感持つ人が多く、受診率は伸び悩む。このため、簡易ながん検査の実現への期待は大きい。
東京医科大・慶応大医学部のグループでは
難しいすい臓がんでも
東京医科大や慶應大学などのグループでは、唾液の検査ですい臓がんを見つける技術を報告している。すい臓がんは早期発見が極めて難しいがんだ。グループは、がん細胞が正常な細胞とはエネルギーの代謝法が異なることに注目、がん患者の唾液や血液に含まれる数百の代謝物を網羅的に解析して、健康な人との比較研究を進めてきた。
この結果、膵臓がん患者の唾液中で、濃度が上昇する代謝物を発見した。測定方法を改善し、ステージ1の早期がんの人でも濃度の上昇が確認できた。がん切除後は、この代謝物の濃度が低下する人が多いため、がん細胞から排出されているかをを調べている。
グループの砂村真琴・東京医科大学兼任教授は、外科医として進行した膵臓がんの患者を多く見てきた経験から早期発見の重要性を痛感してきた。「唾液は採取が簡単。早く大規模臨床を実施し、がん患者のために実用化を目指したい」と話す。
呼吸でも・・研究が進む
呼気の成分で健康管理や病気の発見はで来ないか。物質・材料研究機構が開発した小型で高性能の臭覚センサー技術を基に、京セラや日本電気などが参加する共同研究体制が9月に発足した。これまでの研究で頭頸部のがん患者と健康な人の呼気の成分の違いを識別できた。センサーを開発した同機構の吉川元起・研究者は「企業などが持つ解析技術などを統合しどこまでできるか検証したい」と話すす。
近い将来、全てのがんが唾液・血液・呼気で
早期発見が可能に
まだまだ黎明期であるが、唾液・血液・呼気等で各種がんの早期発見に対しての研究は進行している。この研究の臨床試験が終了し、早期発見が実現すれば、かんでの死亡率は極端に低下するはずだ。大いに期待したい。
~がん克服のために~
二度のがん告知を受けて
平成23年7月、8ミリほどのしこりが見つかり産婦人科に行くと、「大きな病院で検査をしてもらいなさい」と言われ、大学病院で検査を受けました。病理検査の結果は悪性腫瘍、つまり乳がんと言う事です。まさか私がと、ひきつるような気持ちを抑えるのがやっとでした。
医師からは、「大したことはないよ。日帰りで手術できるから」と、私の気持ちを踏みにじるようなことばをかけられました。それでも2週間後には手術を受け、無事おわりました。
ところが、手術1年後にまたも同じくらいの腫瘍が見つかったのです。30代で2度のがん告知を受けて目の前は真っ暗。泣いてばかりいました。その折主人が、「がん体質みたいだから、根本的に体内から改善しないといけないんじゃないか」と、インターネットで探してくれたのが「克服する会」でした。
会長様からいろいろお聞きし、二人で「これだ!」と思い飲用してみることにしました。手術まで2ヶ月ほどありましたので、毎日飲んでいましたら手術前の検査で「小さくなっているようだ」と言われ「もう少し様子を見よう」と言う事になり手術は延期に。
2ヶ月ごとの検査は行うことにしましたが、そのたびに縮小。なんと10ヶ月ごには「手術はいりませんね。ほとんど影がなくなっています」と医師も驚きの声を挙げました。
それからは、ず~とこの健康法と食事療法での体質改善に取り組み、運動も毎朝散歩や体操っをして健康体を保っています。3度目の告知の無いように。
~がん克服~
静岡県立がんセンター 内視鏡科部長
小野裕之(おの ひろゆき)先生
1962年 北海道生まれ
1987年 札幌医科大学卒業 同大第四内科に入局
1991年 国立がん研究センター中央病院研修医
2002年 静岡がんセンター開院にともない同センター内視鏡科部長に就任
2012年 同センター副院長兼内視鏡科部長
ESD(内視鏡的粘膜剥離)治療法を開発
国立がん研究センターのレジデントだったときに、早期がんを一括して取ることのできるESDという治療法を開発した。それまでは、EMR(内視鏡的粘膜切除術)が主流であった。
EMRは、内視鏡の先端からループ状のワイヤーを出して隆起させておいたがん病巣にかけ、ワイヤーを締めて高周波電流を出して焼切る。この方法の弱点は、直径2㌢程度になると分割して取ることになり、しかも再発率が20%もあることだ。
がん病巣を一括して綺麗に取れないか。がんの周囲を切り、剥ぎ取るアイデァが浮かんだものの良い器具がない。その時先輩の細川光一医師が、針状高周波メスの先端に絶縁体を付けようと。すぐさま実験を行い、臨床応用にこぎつけたのが1995年の暮れ。その後細川医師は転院し、後輩の後藤田卓志医師が開発に加わった。
1998年、悪戦苦闘の末ESDが技術的完成を見た。5年後にITナイフが市販され、2006年に保健適用になるやESDはあっという間に広がった。
名医の条件
名医とは「患者が患者を呼ぶ」存在と言われる。治療を受けた患者が、その医師に心酔して別の患者を紹介するのだ。だが、患者に医師の人間性は分っていても、本当の意味での手術の技量は分からない。手術の技量を知りうるのは、同じ手術を行う医師達である。
小野裕之医師は、最大150㍉の早期がんを治療したこともある凄腕の医師だ。名医の条件を伺うと「まずは腕です。第二が心です」と明快だ。 モットーは「早く、正確に、安全に」という。
全国から患者が来院 ESD手術のメリット
お腹を切らずに胃がんを治すなら小野医師と、日本全国から患者が後を絶たない。早期胃がんや食道表在がんのESD治療では3000例を超える執刀を誇り、国内だけでなく世界的に手法を普及させた。
ESDのメリットは、胃を残せることである。術後3日でおかゆが食べれるようになり、5日後には普通に食事ができ、4泊5日で退院できる。開腹手術で胃を切り取った場合は最低2週間程度の入院となり、食事は1日何回も小分けにして少量ずつ食べる。食後は、動悸・めまい・冷や汗などが生じるだピング症候群という後遺症がおこる場合もある。さらに治療費の自己負担額も開腹手術に比べ、半額以下の5~6万円で済む。
~がん克服~
余命2ヶ月の宣告を受ける
余命2ヶ月と診断され即入院。抗がん剤とインターフェロン治療を始めました。本人(父)も治療をがんばる決意が強く、家族も必死になって情報を収集していました。その頃、親戚の知り合いの方が「克服する会」から教えて頂いた健康法で、抗がん剤の副作用が軽くなったそうだから、試してみてはと、教えてくれました。
飲み始めたのは、余命宣告を受けてから1ヶ月後からでした。最初は効果を実感できずに治療による発熱に苦しんでいましたが、その他の副作用にはこれといって苦しむ様子はありませんでした。父もすべてがこの健康法のおかげとは思っていませんでしたが、毎食前には必ず飲んでいました。
医師も驚くほどの改善
その後は入退院を繰り返し、1年後には腫瘍マーカーの数値が5桁から3桁に下がり、通院しながらの自宅徴用を続けています。担当の医師も驚くような改善んでした。有難うございます。
飲み始めたときは、がん治療に効くというものは何でも試してみようと思っていろいろ調べましたが、今も継続しているのは、「克服する会」で勧められた健康法だけです。
お陰様で、旅行なども楽しんで転移も無く1年7ヶ月が過ぎました。今後も病状改善を目指して飲み続けるそうです。どうぞよろしくお願いいたします。(娘)
末梢血提供条件緩和 移植増に期待
厚生労働省の専門委員会は23日、白血病などで行われる非血縁者間の末梢血幹細胞移植で、血液の提供者を緩和する事ことを承認した。末梢血は主に腕から採取するため、提供者の体の負担が少なく、厚労省は移植の増加を期待している。
日本骨髄バンクは12月にも緩和した条件を適用する方針だ。
厚労省によると現行は、血液の提供者と患者の血液の白血球の型が完全に一致する事をもとめているが、一部分の不一致でも移植を認めるように緩和。提供者が要する通院時間の条件も撤廃。採取時に医師の立会を必要としていたが、看護師だけでも認めることとした。
末梢血管細胞移植は、血液のもとになる造血管細胞を健康な人から集め、白血病などの患者に移植する。
全身麻酔が必要な骨髄移植の提供に比べ負担が少ない。
末梢血とは
血管の中を流れている通常の血液。
骨髄や脾臓・肝臓にプールされている血液や、リンパ、組織液などの血液と区別するために末梢血とよぶ。
がんを治療すべきか、すべきでないか
議論が白熱
ごく小さな甲状腺がんにさえ積極的な治療を施す状況が何年も続いているが、米国と日本の有名な研究者たちは論文で、古い慣行を見直すように勧め、多くの早期がん患者は経過を見ながら待つのが効果的かもしれないと述べている。
米国甲状腺教会の専門誌「Thyroid(甲状腺)」掲載の二つの論文によると、小さな甲状腺がんを持つ患者を検査・診察しながら見守るこの方法は「活発な監視療法」とも呼ばれ、成長したり転移したりしないがんの摘出手術に代わる可能性がある。
米国がん協会のオーティス・ブローリー最高医療責任者(CMO)は「いつも、がんは恐れる対象であり、全てのがんは悪だと教わってきた。全てのがんは手術すべきだとも教わった)と述べた。だが、今では、前立腺がん、乳がん、甲状腺がんなどいくつかのがんの初期段階に対する治療に対し、かつてないほどの疑問がもたれているという。
現在のがん治療・手術に疑問
内分泌学を専門とするスローン・ケタリング記念がんセンターのR・マイケル・タトル博士は、甲状腺がんと診断される人の数が「非常に増えている」と述べた。タトル氏は、二つの論文の一方の主執筆者だ。
新たな症例が年間6万件を超える状況にあって、タトル氏は早期の甲状腺がんについて、「従来の手法では、直ちに甲状腺手術を受けるよう当たり前のように勧めているが、これを見直すことが重要だ」と話す。電子版に掲載されている日本の研究結果いよれば、注意しながら待つことを選んだ患者の経過は、手術を受けた患者と同程度に良好だったという。
大半の甲状腺がんは症状がなく、無関係の検査で偶発的に判明する。通常、首の付け根の甲状腺に小塊の形で表れ、その後に生体検査と手術が続き事が多い。
だが、一部の手術には正当な理由がないとの声も聞かれそうだ。甲状腺を切除すると疲労や体重増加といった副作用が出ることもある。そのため、手術はもっと慎重にするべきだとタトル氏は主張。「私たちは、技術が自分たちの先を行っていることに気づき始めた」と述べ、「20年前なら見つけられなかっただろう甲状腺がんが見つかっている」とはなす。
タトル氏がスローン・ケタリングで数年前に設置したプログラムでは、綿密な超音波検査や医師の定期訪問を伴う経過観察という選択肢を患者に提供している。初期には医師と患者から強い抵抗もあったが、次第に受け入れられて250人の患者が参加しているという。
甲状腺がん患者のための教会ThyCaは、観察を選択肢に入れる事を支持している。だが、経過観察をしながら待つことを嫌い、せうじょを希望する患者もいるという。
甲状腺がんを注意深く見守るという手法は、より広範囲な議論の一端だ。米国では、悪影響を受けるリスクがほとんど無い。がん以前の病変や初期のがんに対する治療が過剰かどうか議論されタードマス大学医学部のH・ギルバード・ウエルチ教授は、今年出版した著書で、害のない小さな病変の治療について、「私たちは行き過ぎており、解決する以上に大きな問題を生み出す結果になっている」と書いている。
一方、観察支持派も含め、一部の医師は過剰治療への反対が行き過ぎることを警戒している。前立腺を専門とするカルフォルニア大学サンフランシスコ校医学部内科分泌のピーター・キャロル博士は「《診断からがんという言葉を排除しよう》と言う人がいた。それは少し危険だと思う」と述べた。がんという言葉がなければ警戒しないだろうという。
がん協会のブローリー氏は、非浸潤性乳がんが危険な侵襲性乳がんに発展しうる時期についてのデーターが不足しているため、正式な実験をしたいとの意思を示した。ダナ・ファーナー癌研究所のアン・パートリッジ医師も同意見で、他機関のスタッフと実験の準備をしているという。
~がん克服のために~
家族への支援
がん患者だけでなく、患者の家族への支援も必要だ。
千葉県習志野市の女性(54)は2014年7月、夫(54)がステージ3bの直腸がんと判明した。病気に気づいてあげられなかった後悔や将来への不安を抱える一方、夫の前で弱音を吐けなかった。本やインターネットなどで治療の情報を必死に集め、「免疫力を高める」とされる食事作りに励んだ。友人からは「もっと大変な人もいるから頑張って」と励まされた。がんの話や看護の負担を聞いてもらうのが申し訳なくなり、自然に距離をおくようになった。
「仲間が欲しい。話ができる場所が欲しい」。昨年秋、「NPOがんサポートコニュニティー」が家族会を主催している事を知り、参加した。がん患者の家族4、5人が集まるミーティングで、次第に「苦しい」「つらい」という言葉を口にできるようになった。
「家族は第二の患者」という言葉がある。国立がん研究センター中央病院(東京都中央区)の精神腫瘍科医で「家族ケア外来」担当の加藤雅志医師(41)は「がんは家族の生活も一変させる。家族は負担が大きい一方、周囲から《患者を支える側》として認識され、悲しみや辛さを表に出せないケースも多い」と指摘する。がん患者への調査で、全体の35%が抑うつ状態だったという研究もある。加藤医師は「《〇〇さんの家族》ではなく、その人自身を中心に据えて話を聞く場が必要」と話す。
家族を支える場として加藤医師は、各都道府県のがん診療拠点病院に設置されている相談支援センターを挙げる。患者や家族の悩みに医療ソーシャルワーカーが応じる。また、担当医や看護師に声をかけることも勧める。「家族の生活の質を上げる事は、患者の質を上げることにつながる。一人で抱え込まず周りに相談して」と話す。
遺族外来で・・楽に
一方、支援を受けずらいのが患者を亡くした家族だ。東京都町田市の大竹裕子さん(67)は13年6月、夫重昭さん(当時70歳)を末期の肺がんで亡くした。重昭さんは同年5月28日に自宅で倒れ、救急搬送された病院で末期の肺がんと告げられた。すでに肝臓や骨にも転移し、亡くなったのは12日後だった。「もっとはやく気付いてあげていれば」。大竹さんは重昭さんの死を受け入れられず、後悔の念にさいなまれた。重昭さんと暮らした家にひとりでいることが耐えられず、化粧をし明るい色の服を着て、毎日映画鑑賞や日帰り温泉へ出かけた。それでも眠れない日が続いた。動悸が収まらず、冷や汗が出る。食事がのどを通らず、55㌔あった体重は2ヶ月で39㌔まで落ちた。
同年7月末、毎日新聞の記事で、埼玉医科大国際医療センター(埼玉県日高市)にあるがん患者遺族向けの「遺族が以来」を知った。3日後に訪れた外来で、大西秀樹教授から「悲しみは消えないけれど、喪失感を埋めていきましよう」と声をかけられた。心が少し軽くなった気がした。
大西教授は「がん患者遺族は、《もっとこうしていれば良かった》という後悔や葛藤を抱え続けていることが多い」と話す。大西教授らの調査によると、遺族外来に来る家族のうち約4割がうつ病の症状を抱えていた。しかし、埼玉医科大のように遺族外来のある医療機関は全国にほとんどない。患者の治療が終了すれば医療現場との関係も切れ、孤立してしまいがちだ。大西教授は「遺族には、患者が無くなった日前後に体調を崩すなどの《記念日反応》もある。家族だけでなく遺族も長い目でケアできる体制の整備が必要」と話す。
大竹さんは遺族外来に通い始めた当初「あのときああしていれば」と悔やむ言葉が止まらなかった。それでも話を聞いてもらううちに、少しずつ肩の力が抜けて行った。「ひとりくらいパパのことをいつも思い出して泣く人がいてもいい。今はそう思えるんです」。少し広く感じる自宅には、あちこち重昭さんの写真が飾られている。
~がん克服のために~
がん告知のつらさ
「がんを告知されたから家までに長い道のり、涙があふれて仕方ありませんでした。あの時、病院の中でいったん気持ちを落ち着かせる場所があれば・・・」埼玉県杉戸町で「がん患者会シャローム」を主宰する植村めぐみさん(65)の胸の奥には、今も15年前の記憶が暗く沈んでいる。
精神論は必要なし
植村さんは2000年にがんの手術を受けた。治療の副作用も重なり、難度も「死にたい」と思い、理屈でははかれない悲しみに襲われた。2006年に患者会を組織。「ただつらさを吐き出す場所が作りたかった。がん患者には精神論も根性論も必要ないのです」。
患者をサポートする場所を作りたい
さらに告知の日の辛い経験から、病院内で患者をサポートする場を作ろうと思い立つ。県疾病対策課が動いてくれたこともあり、県立がんセンターで「ピアサポート制度」を実現させた。「ピア」は仲間を意味し、ピアサポートは仲間による仲間への支援だ。がんの仲間が研修を受け、ピアサポーターとして病院などでがん患者の悩みなど聴く。植村さんは現在、同がんセンターをはじめ数か所でピアサポーターとして活躍する。「患者が求めるものは《共感》です」。カウンセリングや具体的なアドバイスをするのではなく、相談者の気持ちを整理することを心がける。
植村さんは相談者から「生きる意味が分からない」と訴えられると、「私も初めは地を這うような日々でした」と伝える。「でもあの時の苦しみがなかったら、あなたの気持ちも分からなかった。人生にとって、意味がないことはないと思います」と続ける。相談者は、「じゃあ、いまわ分からなくてもいいのですね」と、表情が明るくなるという。大事なのは、自分なりの言葉で「共感」を伝える事。ただし、がん患者にかける言葉には配慮が必要だ。(別記)植村さんが患者として、また患者会やピアサポートの活動を通じて分かったことだ。家族や友人など、周囲にがん患者がいる人も是非参考にして欲しいという。
励ますつもりが、逆に患者を傷つけかねない言葉
「頑張ってね」・・十分に頑張っていて、これ以上は頑張りようがない
「偉いね」・・上から目線で評価されていると感じる
「〇〇してあげる」・・がんになったことですでに負い目を感じている
「若いのにかわいそう」・・不幸だとすり込まれているようで、前向きな気持ちがそがれる
「切ったら治るから大丈夫」・・がんは手術後が本当の闘い。何も理解してないと感じる
「人はいつか死ぬから皆同じ」・・確かにそうだが、がん患者は日々、死を意識して生きている
患者同士でなければ分かちあえない
患者同士でなければ分かち合えないことは多い。千葉の乳がん患者会、「アイビー千葉」の代表、斎藤とし子さん(73)は「ひとりで閉じこもると、心の回復に時間がかかる。人の力を借りて元気になることも考えて」とアドバイスする。患者会に入らなくても、病院で開く集いの場になら気楽に参加できる。7年前に乳がんの手術をした同会の関口淳子さん(51)は「患者は、周囲に対して元気であることを装いたいもの。でも、同じ病気の人なら弱音を吐けると話す。「家族奈には特別扱いされたくないし、《病人だから》とやることを制限されると落ち込んでしまう。こちらは動ける範囲で動いているので、ただ見守っていて欲しいのです」。
がん患者を支えるネットワーク
妻ががん患者の場合、夫にはどのような支え方があるのだろうか。横浜市在住のカメラマン、大沼正彦(55)の妻由美子さん(53)は6年前に卵巣がんが見つかった。手術後に抗がん剤治療を受けていたが10ヶ月後に再発がわかった。以来、何度か再発を繰り返しながらも抗がん剤で治療を続ける。
「僕は病気について勉強し、妻は治療をがんばる。それぞれの役割で癌に向き合ってきました。根本的にあるのは、もちろん《死なせたくない》という気持ちです。正彦さんはフリーランスのため時間が自由になり、家事も積極的にこなす。社会人の息子(28)と娘(24)が同居し、一時「家事は家族で分担しよう」と言う事になったが、由美子さんに反対された。「私が居なくなった時を想定しているようで嫌。駄目なときは言うから、私もできることをやって家族に混ぜてほしい」
当初は、治療法に迷うなど正彦さんのストレスも大きかったが、信頼できる主治医と出会ったことで解消された。夫婦の足並みはおおむねそろっているが、たまに感情がぶつかり合うこともある。「妻の苦しみは僕に分かり得ない。でも、《妻ががんになった夫の気持ちはあなたには分からないでしょう》と妻に言ってしまうことも」と正彦さんは笑う。
由美子さんには、ブログで知り合った「がん友」も多く、さらに医療者や患者会と、夫婦を中心に「味方になってくれる」ネットワークが出来ている。卵巣がんの再発から4年半、今は「3ヶ月先は見えるが半年先は見えない」状況だ。しかし、夫婦で新薬の適用を待ちなつつ、希望を持ち続けている。
~がん克服のために~