私たち夫婦のがん克服への道


平成9年1月頃、私の妻の卵巣が異常に腫れてまいりまして、熊本市の森川病院で左の卵巣の摘出手術をうけました。その卵巣の病理検査で癌であることが判明しました。すぐに転移の可能性があるという事で、病院を熊本市民病院に移しもう片方の卵巣と子宮の全摘手術をうけました、手術はうまく行きましたがまだほかに転移の可能性があるということで、抗がん剤治療を勧められ受ける事に致しました。


さっそく入院後、抗がん剤を打ち症状により約3週間入院をし、退院ののち4週間ほど間隔を置き又抗がん剤を打つのを1クールとし、それを4クールするよう指示されました。しかし、その副作用たるもの凄まじく、吐き気、倦怠感、食欲不振、脱毛等、見ていられないくらい辛いものがあったみたいで、2クール目から抗がん剤治療を嫌がり始めました。私たち家族は、痛いほど妻の気持ちは解りましたが、何とかなだめすかして、抗がん剤治療を続けさせていましたが、その一方で何かほかに治療法はないものかといろいろと探しておりました。


その時、古くからの私の友人に勧められたのが、不知火姫菊でした。


半信半疑でしたが、藁にもすがるような気持ちでしたので、2クール目の途中から抗がん剤治療と併用して飲み始めました。3~4週間経った頃からだったと思いますが、食欲が出てまいりまして、そのうち顔色も良くなり体力も付いてきました。3クール目の治療も嫌がりましたが、そのまま併用を続けて受けていました。その後の検査で腫瘍マーカーの数値が非常に良くなり、本人も嫌がる4クール目の抗がん剤治療はやめることにしました。


その後は、不知火姫菊だけを飲み続け転移、再発もなく14年目を迎え60歳の今も元気に、趣味に旅行にと孫の面倒を見ながら楽しい人生を送らせて戴いております。
次は、私のガンが見つかりました私の妻が癌の苦しみから解放されて間もなく、今度は私地震が大腸がんに冒されてしまいました。平成12年の1月の事です。実は以前から血便が出たり、便がだんだん細くなり、下痢と便秘を繰り返しておりましたが、仕事を抱えており、気弱な性格もあり検査をするのが怖く、延ばし延ばしにしておりましたが、いよいよ下腹部が腫れ、痛みだし、近くのヤマサキ胃腸科クリニックでカメラの検査を受けることになりました。その日にS字結腸がんを宣告され、熊本中央病院を紹介され、即入院後、手術を勧められました。癌は腹壁まで達していましたが、6時間半の手術はお陰さまで無事に成功いたしました。


私は、薄々以前から癌ではないかと思いながら生活しており、妻に効果のあった不知火姫菊を平成11年頃から飲んでおりました。術後執刀した主治医の先生に家族は摘出した癌の患部を見せられ、そこが「イソギンチャクの様にドロドロに溶けている、このようなのは初めて見た」と話されたそうです。


私はそれは以前から不知火姫菊を飲んでいたからだろうと思います。


その後、私も転移の心配があるのでと、抗がん剤治療を勧められましたが、妻の苦しみ、気弱な性格、不知火姫菊の妻への効果を考え、不知火姫菊での治療の道を選択しました。

「11年った今・・・」

その後約11年、お陰さまで66歳になった今でも、仕事に、ゴルフに、飲み会に、孫との遊びにと元気に楽しくすごさせていただいております。


私たち夫婦は自分たちのがん患者としての体験を通して、知合いになれた方々との間で、お互いの病気に対する不安、悩み、ストレスなどを克服し、近状報告や情報交換などをする会を作りたいとの話が持ち上がり、平成16年に「がんを克服する会」を立ち上げました。そのお世話を私がさせていただいております。実際に体験をされたご家族の方々も含め、一緒に癌に立ち向かっていこうと考えています。


ですから、どんなことでも結構です。私の方まで連絡をいただけましたら幸甚に存じます。

(金谷隆一郎)

 

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