がん克服【がんの治療後のセルフケア】
- 2016年12月02日
- がんニュース
がんと診断されても生活の質が落ちないように!
がんを患うと体力が落ちて痩せてしまいがちだが、必ずしもそうとは限らず体重が増加する場合も少なくない。薬剤の副作用で、倦怠感や関節の痛みなどが起こり、体を動かすことが億劫になる。精神的なダメージでイライラが募り過食を引き起こす。
がんを患うと体力が落ちて痩せてしまいがちだが、必ずしもそうとは限らず体重が増加する場合も少なくない。薬剤の副作用で、倦怠感や関節の痛みなどが起こり、体を動かすことが億劫になる。精神的なダメージでイライラが募り過食を引き起こす。
国立がん研究センターと産業総合研究所などは、人工知能(AI)技術を使って、がんの症状に応じた最適な治療を患者毎に提供できるシステムの開発に乗り出すと発表。
膨大な過去の患者の治療データーを幅広く分析し、正確ながんの診断や、治療の選択が提示するのが目的。5年後の実用化委向け、3億8000万円の事業費で行う
同センターには、診断した患者の血液検査の結果やCT(コンピューター断層撮影)による画像診断情報など、多くのデーターがある。これをAIが読み取れるように統合し、自ら学習を探究していくAI技術「深層学習(ディプラーニング)」により解析治療法の選択などに活用する開発には民間企業「プファード・ネットワーク」も参加する
「システムが出来れば、抗がん剤の効果や副作用を予測して無駄に投与しないといった事も可能になる」と、同センターのがん分子修飾制御学分野長・浜本隆二氏は語る。
~がん克服~
がん対策基本法の改正案が15日、参議院厚生労働委員会に議員立法として提出され、同委員会は全会一致で可決した。
がん患者の雇用継続に企業などが配慮する事や、すい臓がんなど治療が難易ながんや患者数が少ないがんについての施策を進めることが目的。16日の参議院本会議で可決され、衆院に送られる。
主人は、昨年末呼吸が苦しくなり、かかりつけの内科で診てもらった所「すぐに大きな病院で検診したが良い」と言われ、正月明けに労災病院で検診を受けました。
検査終了後に医師から伝えられたのは、「末期の肺がんで手術は出来ない。このまま何もしないと余命は半年か長くても1年以内でしょう」との衝撃的な言葉でした。
タバコを止められず、「止めるくらいなら死んだ方がまし」等と言っていましたが、いざ余命宣告を受けるとあわてて禁煙。抗がん剤に一縷の望みを求め、治療に専念する事になりました。
3クール頃から髪の毛が抜け始め、食欲も減退。いわゆる副作用に苦しめられておりました。そんな折、中学時代からの友人Kさんが見舞いに来てくれて、ご自分と奥様のがん体験(大腸がんと卵巣がん)を話され、自分たちも友人から勧めれれて飲んだものがある(今でも二人とも毎日飲んでいるとの事)が、飲んでみたら・・と紹介されてのが「不知火姫菊」でした。
主人はKさんを尊敬していましたので、何も言わずにすぐに購入。お話の通り、まず抗がん剤の副作用が緩和され食欲が出てきたのには驚きました。主人はすっかり姫菊を信じて「これで絶対に良くなるぞ!」と、前向きに取り組むことにしました。
6月末、「がんを克服する会」のブログを見ていると「がんの名医」の所に、呼吸器科の3名の先生が紹介されていました。順天堂大学の鈴木健司先生、京都大学の伊達洋至先生、広島大学の岡田守人先生。他の病院で手術不可と診断された患者さんの手術を引き受け、ほとんど成功していると言う「肺がんの名医」。
息子が岩国に在住していますので、広島大学の岡田先生に診て戴こうと、電話で広島大学付属病院に問い合わせたところ、「直接の申し込みは受け付けない、担当医から連絡されたい」との事。
6月30日が労災病院の健診日でしたので、主治医に話はしにくかったですが思い切って告げると、広島大学付属病院に連絡してくれました。「すぐに来なさい」と言う事で診察日は7月4日に決定。3日に岩国の息子の所に行き、4日は主人と私・息子の3人で広大附属病院に行き岡田先生た1名の先生と面談。
手術の日を決めるつもりで行ったのですが、検診の結果岡田先生は「がんが少し小さくなっている様だから、もう少し様子を見ましょう。手術は何時でもできるから、主治医と相談され決断したら連絡ください」との見解でした。
手術を覚悟しての受診でしたが、がんが小さくなっているとの事で様子見。「Kさんから勧められた本当に効いているんだ」と、帰りの車の中で笑顔で話しました。本当に久しぶりの笑い声が聞けました。
1994年 佐賀医科大学医学部卒業 九州大学医学部第二外科入局
1995年 九州大学病院第二外科
1996年 国立病院機構九州がんセンター乳腺外科
1997年 九州大学病院第二外科
1998年 九州大学s生体防衛医学研究所付属病院腫瘍外科
2001年 国立病院機構九州がんセンター乳腺外科
2009年 東邦大学医医療センター大森病院乳腺外科客員講師
2014年 がん研有明病院乳腺外科非常勤医師
2015年 がん研有明病院乳腺外科副院長
がんに関わる専門医であれば「いつかは」と憧れる医師も多いがん研有明病院。片岡先生は、育児のために7年間非常勤を掛けもちした後、同病院乳腺外科に就いた。フルタイムでの勤務が難しい時も、決して力を抜くことなく、経験を積んだ。常勤に復帰したいま、時間が経つのを忘れるほど、やりがいのある日々を送っている。
08年4月、夫の転勤に伴って九州から東京に引っ越した。当時、3人の子供は小学生と未就学児で、フルタイムでの勤務は難しかった。午前9時~午後2時までの非常勤を掛け持ちし、週5日働いた。ブレストサージャリクリニック・田園調布ファミリークリニック・対馬るり子女性ライフクリニック銀座だ。ブレストサージャクリニックの平岩佳子院長には乳房再建を教わった。
日々、目の前の仕事に対応しながらも、日本の乳がん治療をレベルアップさせる取り組みに力を入れている。「せっかく癌研に勤務しているのですから、社会貢献合いたいと思っています。今、具体的に考えているのは、患者のサバイバーシップです。乳がんが寛解してからの生活の質いかに元通りにするかについて、臨床試験のグループに参加し研究しています。また、九州がんセンターのころから続けていた若年の患者対応について他施設と共同研究しています」と語る片岡先生からは、専門医としての責任と誇り、そして乳がん治療に対する情熱が伝わってくる。
~がん克服~
風邪薬の成分に、膀胱がんの転移効果があることをマウスによる実験で確かめたと、北大のチームがイギリスの科学誌「サイエンティフイック・リポーツ」に発表し、来年から治験を始めるという。抗がん剤と併用することで、完治を目指す治療法の開発が期待される。
膀胱がんは、膀胱内の表面にとどまる「浅いがん」と、奥の筋肉まで達する「深いがん」があう。浅いがんは比較的完治しやすいが、深いがんは他の臓器に転移しやすく、抗がん剤も効きにくい。
チームは、ヒトの「ふかいがん」の細胞をマウスの膀胱に移植し、転移したがん細胞を調べたところ、元のがん細胞より動きが活発で、細胞内のある特定の酵素が3~25倍に増えていた。転移した膀胱がん患者を調べた結果、同様に酵素が増えていることが分かった。
これらの結果からチームは、「この酵素が、転移したがん細胞を活性化させ、抗がん剤を効きにくくさせている可能性がある」と分析。
マウスの転移したがん細胞をを培養し、この酵素の働きを妨げる風邪薬(解熱鎮痛剤)の成分「フルフェナム」を投与したところ、がんの活発な動きが止まった。また、抗がん剤だけを投与すると、がんの細胞の一部が生き残って活発化したが、フルフェナム酸を一緒に投与したがん細胞をは抗がん剤が効き、ほとんど死滅した。
チームの田中伸哉教授(腫瘍病理学)は、「フルフェナムは酸は認可された薬の成分で、安全性も確認済みであり、早い時期にがん治療で実用化される可能性がある」と語る。
~がん克服~
1958年 神奈川県生まれ
1985年 順天堂大学医学部卒業 附属病院外科研修医
1987年 同附属病院小児外科入局
1994年 獨協医科大学医学部附属病院小児外科助手
1999年 順天堂大学医学部小児外科助教授
2006年 ~現在 同大医学部小児外科主任教授
2012年 ~現在 東京医科大学消化器・小児外科学分野兼任教授
2015年3月16日に放送された、第258回プロフェッショナル仕事の流儀の反響が大きく、2016年2月1日にアンコール再放送された。
順天堂大学医学部小児外科・小児泌尿生殖器外科は、世界トップクラスの実力を備える。山高先生自身も、小児外科・小児内視鏡手術の国際的にもトップクラスの実力を持っている。年間手術総数は約1100例・新生児手術総数80例・鏡視下手術220例と日本最多を誇る。単純計算で一日3件。年間総数1100例は全国平均が250例なので、4倍以上も数をこなしている。実に驚異的だ。しかも、24時間体制で、専門医を含む3人の医師が深夜でも待機している。患者にとって、本当にありがたい病院だ。
山高先生は数々の難手術も含めて、これまで一万人以上の子供の命をすくってきました。そのモットーは「不可能を可能にすること」、「限界は乗り越えられる」だ。
つねに「この子が我が子なら」と思い治療に当たり、また新たな治療法を確立したり、身体への負担が少ない手術法を生み出したりと、その活躍ぶりは枚挙にいとまが無い。
~がん克服~
1955年 東京生まれ
1980年 日本大学医学部卒業
1984年 日本大学大学院医外科学終了
1987年 国立がんセンター中央病院外科チーフレジデント
1989年 同病院外科医員
1995年 同病院外科医長
1995年 東京大学医学部第二外科講座講師
1996年 同講座助教授
1997年 東京大学大学院医学系研究科肝胆膵移植外科助教授
2001年 日本大学医学部外科学講座外科第三部門教授
2004年 同講座消化器外科教授
● 医療ルネサンス(2004年7月3日、日テレ)
● これが世界のスーパードクター(2006年3月18日、TBS)
● スーパーモーニング(2007年5月28日、テレビ朝日)
● ヒポクラテスの誓い20015年6月23日、BS-TBS)
● プロフェッショナル仕事の流儀(2015年9月28日)
● L4YOU!(2016年5月18日、テレビ東京)
細心と革新をモットーに、胆管膵がんの外科治療に取り組み、肝がん手術数全国一位を誇る高山教授は、1994年に肝尾状葉単独全切除術(高山術式)を、世界で初め成功させた。尾状葉とは、肝臓の最も深い部位で、そこにがんが発生した患者はそれまで手術不可能と判断されていた。医師も患者もあきらめていた肝臓がんに、大きな光をあてた医師だ。
高山教授は、大学卒業後父親との約束で卒業後は開業医になるつもりでいたそうです。開業は外科医で、当時不治の病と言われていたがんに興味を持ち、それに挑戦してみたいと大学院で癌研究に励み学位を取得。その関係で卒業までの短期間、国立がんセンターに短期の臨床研究に行くことになる。
高山:そうしたら、そこにいらっしゃつたのが幕内雅敏先生でした。初めて先生の手術を見たときは衝撃でした。美しいんですよ、動作も術野(手術を行っている部分)も全てが美しかった。それにストイックな姿勢にも驚きました。その上365日休み無し、本当に毎日毎日来るんですよ。(笑い)正月もいらっしゃる。もうそれだけで尊敬です。
研修は半年でしたが、その後すぐに幕内先生から電話がありまして、「国立がんセンターで中堅医師を育てるシニアレジデント制度を始めるから来ないか?」と誘っていただいたんですよ。結局それがきっかけでしたね。開業医をあきらめるのは。
それから約15年間、一緒に肝がん手術や生体肝移植をしました。後に先生が母校の東京大学に戻られてからは、僕は助教授として先生の下についてみっちり仕事をしました。その当時は一蓮托生のようなもので、ずっと病院内で一緒でした。
幕内先生は、人には一切教えない方でした。僕がレジデント(研修医)として国立がんセンターに行ってすぐの時に、ちょつと手術のヒントを伺おうと思ったら聞こえない振りをされてしまいました。あぁこれは盗むしか無いかと思って、それ以来15年間一度も質問しませんでした。これが私の手術の原点となりました。一流の医師になるには、自分で考え結論を出す。そして責任を取る。それと、先生が口癖のように言われていた「人間、そう能力に差は無いんだから、人が遊んでいるときに努力しないと勝てないよ」という言葉を肝に免じて精進してまいりました。
高山先生は、2001年より日本大学板橋病院でメスを振るうが胆管膵手術は年々増加し、2008年より肝がん手術数では全国第一位(朝日新聞調べ)を誇る。
しかも、術後の5年生存率の全国平均は53%であるが、板橋病院の場合61%だ。それを70%以上にしたいと、また闘志を燃やす。実に頼りがいのある、信頼のおける先生だ。
~がん克服~
1947年 秋田県生まれ
1997年 新潟大学医学部卒業 外科入局
1985年 秋田赤十字病院外科部長
1992年 秋田赤十字病院胃腸センター長
2000年 昭和大学医学部教授 横浜北部病院消化器センター長
2001年 昭和大学横浜北部病院副院長
大腸内視鏡検査を通算20万例以上の実績。「幻のがん」と呼ばれていた陥凹(かんおう)型大腸がんを世界で初めて発見。
僅か5分で検査を終える痛みのない内視鏡検査を行う事から、内視鏡ゴッドハンドと呼ばれる。「早期がん」を一刻も早く発見し、1人でも多くの患者さんを治療して、「大腸がんでは絶対に死なせない」との矜持がある。
~がん克服~
1962年 米国シカゴ生まれ。
1987年 京都大学医学部卒業。同大学付属病院消化器外科入局。
国立京都病院 米国マウンド・サイネ病院 がん研有明病院勤務
2010年 虎の門病院消化器外科。
腹腔鏡下手術では群を抜いて難しいとされる直腸がんも、腹腔下鏡で行う、大腸がん手術のスペシャリストだ。このところ、とみに思うのは「折れない心」だと言う。手術中に出会う予期せぬトラブル、難しい状況。そこで、つい妥協しようとする自分に打ち勝つ気持ちが退治だと語る。
医師になりたての頃はそれが分からず、あと一歩の所で妥協してしっぺ返しをくらったという苦い体験を基にしている。
知識や技術の裏付けは当たり前。それから先を求めるるには「折れない心」が重要。そして術中は無口では駄目。明るくしないといけません。黒柳先生は、常に微笑んでいられる。その明るさが、常に患者の心を和ませ安心させている
「数々の偶然やラッキーが積み重なって、皆元気になっている。その偶然やラッキーをものにするのは怠りない準備であり、努力だと思います。僕はチキンだから危ないとわかっている橋は渡りません。手術前に徹底的にシュミレーションし、この道がだめなら、この道をと、二重三重に準備する。石橋を叩いて壊すくらい慎重です」と話す。
大腸がん手術のポイントとして多くの外科医が異口同音に語るのが「剥離ライン」だ。適切な層で剥離することが出血や神経・組織の損傷を防ぎ、手術そのもののスピードや正確さ、取り残しのがん切除などを可能にする。
黒柳先生は、一生懸命に励んでいると手術中、まさに「ここを剥離してください」と言わんばかりのラインが見えてくる、と話す。
神業の「剥離ライン」に辿り着くには、実は解剖の知識・手術手技を極める事、手術前の丹念な準備など、手術に臨む土台作りがものをいうのかも知れません。
~がん克服~