片岡明美(かたおかあけみ)先生
がん研有明病院乳腺外科副医長
1994年 佐賀医科大学医学部卒業 九州大学医学部第二外科入局
1995年 九州大学病院第二外科
1996年 国立病院機構九州がんセンター乳腺外科
1997年 九州大学病院第二外科
1998年 九州大学s生体防衛医学研究所付属病院腫瘍外科
2001年 国立病院機構九州がんセンター乳腺外科
2009年 東邦大学医医療センター大森病院乳腺外科客員講師
2014年 がん研有明病院乳腺外科非常勤医師
2015年 がん研有明病院乳腺外科副院長
社会に貢献できる医療に尽くす
がんに関わる専門医であれば「いつかは」と憧れる医師も多いがん研有明病院。片岡先生は、育児のために7年間非常勤を掛けもちした後、同病院乳腺外科に就いた。フルタイムでの勤務が難しい時も、決して力を抜くことなく、経験を積んだ。常勤に復帰したいま、時間が経つのを忘れるほど、やりがいのある日々を送っている。
かねて師事したかった医師に乳房再建の技術を学ぶ
08年4月、夫の転勤に伴って九州から東京に引っ越した。当時、3人の子供は小学生と未就学児で、フルタイムでの勤務は難しかった。午前9時~午後2時までの非常勤を掛け持ちし、週5日働いた。ブレストサージャリクリニック・田園調布ファミリークリニック・対馬るり子女性ライフクリニック銀座だ。ブレストサージャクリニックの平岩佳子院長には乳房再建を教わった。
患者のサバイバーシップを支援する臨床試験に参加
日々、目の前の仕事に対応しながらも、日本の乳がん治療をレベルアップさせる取り組みに力を入れている。「せっかく癌研に勤務しているのですから、社会貢献合いたいと思っています。今、具体的に考えているのは、患者のサバイバーシップです。乳がんが寛解してからの生活の質いかに元通りにするかについて、臨床試験のグループに参加し研究しています。また、九州がんセンターのころから続けていた若年の患者対応について他施設と共同研究しています」と語る片岡先生からは、専門医としての責任と誇り、そして乳がん治療に対する情熱が伝わってくる。
~がん克服~
山高篤行(やまたか あつゆき)先生
順天堂大学付属病院小児外科・小児泌尿生殖器外科主任教授
1958年 神奈川県生まれ
1985年 順天堂大学医学部卒業 附属病院外科研修医
1987年 同附属病院小児外科入局
1994年 獨協医科大学医学部附属病院小児外科助手
1999年 順天堂大学医学部小児外科助教授
2006年 ~現在 同大医学部小児外科主任教授
2012年 ~現在 東京医科大学消化器・小児外科学分野兼任教授
プロフェッショナル仕事の流儀で2回取り上げられる
2015年3月16日に放送された、第258回プロフェッショナル仕事の流儀の反響が大きく、2016年2月1日にアンコール再放送された。
国際的な小児外科の集団 24時間体制で臨む
順天堂大学医学部小児外科・小児泌尿生殖器外科は、世界トップクラスの実力を備える。山高先生自身も、小児外科・小児内視鏡手術の国際的にもトップクラスの実力を持っている。年間手術総数は約1100例・新生児手術総数80例・鏡視下手術220例と日本最多を誇る。単純計算で一日3件。年間総数1100例は全国平均が250例なので、4倍以上も数をこなしている。実に驚異的だ。しかも、24時間体制で、専門医を含む3人の医師が深夜でも待機している。患者にとって、本当にありがたい病院だ。
山高先生の心がけ
山高先生は数々の難手術も含めて、これまで一万人以上の子供の命をすくってきました。そのモットーは「不可能を可能にすること」、「限界は乗り越えられる」だ。
つねに「この子が我が子なら」と思い治療に当たり、また新たな治療法を確立したり、身体への負担が少ない手術法を生み出したりと、その活躍ぶりは枚挙にいとまが無い。
~がん克服~
高山忠利(たかやま ただとし)先生
日本大学医学部長 消化器外科部長 消化器外科教授
1955年 東京生まれ
1980年 日本大学医学部卒業
1984年 日本大学大学院医外科学終了
1987年 国立がんセンター中央病院外科チーフレジデント
1989年 同病院外科医員
1995年 同病院外科医長
1995年 東京大学医学部第二外科講座講師
1996年 同講座助教授
1997年 東京大学大学院医学系研究科肝胆膵移植外科助教授
2001年 日本大学医学部外科学講座外科第三部門教授
2004年 同講座消化器外科教授
テレビ出演
● 医療ルネサンス(2004年7月3日、日テレ)
● これが世界のスーパードクター(2006年3月18日、TBS)
● スーパーモーニング(2007年5月28日、テレビ朝日)
● ヒポクラテスの誓い20015年6月23日、BS-TBS)
● プロフェッショナル仕事の流儀(2015年9月28日)
● L4YOU!(2016年5月18日、テレビ東京)
尾状葉切開手術を、世界で初めて成功
細心と革新をモットーに、胆管膵がんの外科治療に取り組み、肝がん手術数全国一位を誇る高山教授は、1994年に肝尾状葉単独全切除術(高山術式)を、世界で初め成功させた。尾状葉とは、肝臓の最も深い部位で、そこにがんが発生した患者はそれまで手術不可能と判断されていた。医師も患者もあきらめていた肝臓がんに、大きな光をあてた医師だ。
肝臓外科の世界的な権威・幕内雅敏先生に師事
高山教授は、大学卒業後父親との約束で卒業後は開業医になるつもりでいたそうです。開業は外科医で、当時不治の病と言われていたがんに興味を持ち、それに挑戦してみたいと大学院で癌研究に励み学位を取得。その関係で卒業までの短期間、国立がんセンターに短期の臨床研究に行くことになる。
高山:そうしたら、そこにいらっしゃつたのが幕内雅敏先生でした。初めて先生の手術を見たときは衝撃でした。美しいんですよ、動作も術野(手術を行っている部分)も全てが美しかった。それにストイックな姿勢にも驚きました。その上365日休み無し、本当に毎日毎日来るんですよ。(笑い)正月もいらっしゃる。もうそれだけで尊敬です。
研修は半年でしたが、その後すぐに幕内先生から電話がありまして、「国立がんセンターで中堅医師を育てるシニアレジデント制度を始めるから来ないか?」と誘っていただいたんですよ。結局それがきっかけでしたね。開業医をあきらめるのは。
それから約15年間、一緒に肝がん手術や生体肝移植をしました。後に先生が母校の東京大学に戻られてからは、僕は助教授として先生の下についてみっちり仕事をしました。その当時は一蓮托生のようなもので、ずっと病院内で一緒でした。
幕内先生は、人には一切教えない方でした。僕がレジデント(研修医)として国立がんセンターに行ってすぐの時に、ちょつと手術のヒントを伺おうと思ったら聞こえない振りをされてしまいました。あぁこれは盗むしか無いかと思って、それ以来15年間一度も質問しませんでした。これが私の手術の原点となりました。一流の医師になるには、自分で考え結論を出す。そして責任を取る。それと、先生が口癖のように言われていた「人間、そう能力に差は無いんだから、人が遊んでいるときに努力しないと勝てないよ」という言葉を肝に免じて精進してまいりました。
肝がん手術数では全国一
高山先生は、2001年より日本大学板橋病院でメスを振るうが胆管膵手術は年々増加し、2008年より肝がん手術数では全国第一位(朝日新聞調べ)を誇る。
しかも、術後の5年生存率の全国平均は53%であるが、板橋病院の場合61%だ。それを70%以上にしたいと、また闘志を燃やす。実に頼りがいのある、信頼のおける先生だ。
~がん克服~
工藤進英(くどう しんえい)先生
昭和大学医学部教授 横浜北部病院副院長
1947年 秋田県生まれ
1997年 新潟大学医学部卒業 外科入局
1985年 秋田赤十字病院外科部長
1992年 秋田赤十字病院胃腸センター長
2000年 昭和大学医学部教授 横浜北部病院消化器センター長
2001年 昭和大学横浜北部病院副院長
世界が認める大腸がん治療の名医
大腸内視鏡検査を通算20万例以上の実績。「幻のがん」と呼ばれていた陥凹(かんおう)型大腸がんを世界で初めて発見。
大腸がんでは死なせない!
僅か5分で検査を終える痛みのない内視鏡検査を行う事から、内視鏡ゴッドハンドと呼ばれる。「早期がん」を一刻も早く発見し、1人でも多くの患者さんを治療して、「大腸がんでは絶対に死なせない」との矜持がある。
~がん克服~
黒柳弘弥(くろやなぎ ひろや)先生
虎の門病院 消化器外科部長
1962年 米国シカゴ生まれ。
1987年 京都大学医学部卒業。同大学付属病院消化器外科入局。
国立京都病院 米国マウンド・サイネ病院 がん研有明病院勤務
2010年 虎の門病院消化器外科。
医師としてのモットー。
臆病なほど慎重に。そして妥協しない。それが患者さんを治す原動力だと思っている。
腹腔鏡下手術では群を抜いて難しいとされる直腸がんも、腹腔下鏡で行う、大腸がん手術のスペシャリストだ。このところ、とみに思うのは「折れない心」だと言う。手術中に出会う予期せぬトラブル、難しい状況。そこで、つい妥協しようとする自分に打ち勝つ気持ちが退治だと語る。
医師になりたての頃はそれが分からず、あと一歩の所で妥協してしっぺ返しをくらったという苦い体験を基にしている。
手術に対する心構え
知識や技術の裏付けは当たり前。それから先を求めるるには「折れない心」が重要。そして術中は無口では駄目。明るくしないといけません。黒柳先生は、常に微笑んでいられる。その明るさが、常に患者の心を和ませ安心させている
「数々の偶然やラッキーが積み重なって、皆元気になっている。その偶然やラッキーをものにするのは怠りない準備であり、努力だと思います。僕はチキンだから危ないとわかっている橋は渡りません。手術前に徹底的にシュミレーションし、この道がだめなら、この道をと、二重三重に準備する。石橋を叩いて壊すくらい慎重です」と話す。
大腸がん手術のポイントとして多くの外科医が異口同音に語るのが「剥離ライン」だ。適切な層で剥離することが出血や神経・組織の損傷を防ぎ、手術そのもののスピードや正確さ、取り残しのがん切除などを可能にする。
黒柳先生は、一生懸命に励んでいると手術中、まさに「ここを剥離してください」と言わんばかりのラインが見えてくる、と話す。
神業の「剥離ライン」に辿り着くには、実は解剖の知識・手術手技を極める事、手術前の丹念な準備など、手術に臨む土台作りがものをいうのかも知れません。
~がん克服~
塩谷彰浩(しおたに あきひろ)先生
防衛医科大学耳鼻咽喉科教授
1962年 東京生まれ。
1987年 慶應大学医学部卒業、同大耳鼻咽喉科入局。
1993年 同大 助手。
1995年 米国ジョーンズ・ホプキンス大学医学部留学。
2000年 慶應大学医学部耳鼻咽喉科専任講師。
2005年 同 助教授
2006年 防衛医科大学耳鼻咽喉科教授。
2007年 同病院院長補佐兼務。
年間執刀数
喉頭がん39例、下咽頭がん14例、中咽頭がん4例、舌口腔がん11例、鼻副鼻腔がん3例、唾液腺腫瘍(耳下腺・顎下腺)24例、甲状腺腫瘍15例(現施設に異動後の1年間のみ)。
累積手術数(最近6年間)
喉頭がん582例、咽頭がん179例、その他頭頸部腫瘍101例。
科の特色
当科は開設以来、耳鼻咽喉科領域の中でも、頭頸部がん、咽喉頭疾患を得意としており、インフォームド・コンセントに基づいて、抗がん剤併用放射線治療と機能温存手術の両者を用いて、極力、機能や形態を温存する治療に力を入れている。
治療成績
喉頭がんに対する喉頭温存手術は当科に特徴的な治療法があり、がんの進展範囲に応じて、様々な種類の手術が施術可能である。従来、喉頭全摘術を行っていたような症例に対しても喉頭亜全摘術を施行し、喉頭機能を温存している。経験症例数は全国でも有数であり、喉頭全摘術に劣らない制御率を誇っている。また、当科で開発した新しい術式である内視鏡的後頭部切除術は、気管切開や頸部皮膚の切開をせずに、喉頭機能温存を達成でき、成績も良好である。これらの術式は放射線治療後の再発例に対しても積極的に行っている。
名医の条件
確実な技術と知識を持ち、医学的にも人間的にも経験が豊富であること。
~がん克服~
佐藤泰則(さとう やすのり)先生
防衛医科大学 歯科口腔外科教授・部長
1949年 神奈川県生まれ。桐朋高校卒。
1975年 新潟大学歯学部卒業。
1975年 埼玉医科大学口腔外科学講座助手。講師。
1985年 防衛医科大学講師、助教授。
2000年 同 教授。防衛医科大学病院歯科口腔外科部長。
実績(7年間)
舌癌76例、下顎歯肉がん25例、上顎歯肉がん18例、口底がん11例、口蓋がん他11例、唾液腺がん18例
年間執刀数(3年間・新鮮例のみ、再発含まず)
舌癌11例、下顎がん4例、上顎歯肉がん3例、口底がん2例、頬粘膜がん2例、唾液腺がん4例。
診察に際して心がける点
①常に、もし自分が患者さんの立場であったらと思って診察する。
②不要な不安を与えないように説明を行う
手術に際して心がける点
①輸血を出来る限りしないように出血を出来るだけ抑える。
②顎口腔機能の温存された手術を行う。
科の特色
近年では口腔がんの治療も、治療方針、治療期間、メリット・デメリットなどを患者さんに十分説明し、価値観などを考慮して患者さん自身が最終的な治療を決定する時代になった。医療の進歩とともに口腔がんの治療も多様化し、施設により治療方法が異なることは珍しくない。当科では、口腔がん症例をたくさん扱っており、良好な治療実績を上げてきている。集学的治療を行い、常に症例各々に適切な治療法を検討し、QOLを重視して治療を行っている。十分なインフォームド・コンセントを行い、最終的には患者さんの意思を尊重した治療内容としている。
名医の条件とは
①医療技術が優れていること。
②最新の知識を持っていること。
③的確な診断・治療を早期に行えること。
~がん克服~
山本順司(やまもと じゅんじ)先生
防衛医大外科学講座第3教授
1956年 10月5日宮崎県延岡市生まれ
1975年 ラサール学園高等学校卒業
1981年 東京大学医学部卒業
1985年 東京大学医学部第一外科入局
1989年 国立がんセンター中央病院外科
2001年 がん研有明病院消化器外科医長
2002年 同 副部長
2008年 4月防衛医科大学外科学講座第3教授
医師としての手腕と素晴らしい人間性を備えた名医
診察に際して心がける点 正直に分かりやすく説明する。
手術に際して心がける点 丁寧で出血が少なく、正確な手技。
科の特色:切除不能とされるがんにも適応
当院肝胆膵外科は少ない人数で(スタッフ2人)多くの症例を扱うため1人あたりの手術症例が多く、また手術はほとんど固定されたメンバーで行なわれるため、手技が均一で安定している。術者の経験症例数は肝切除1000例以上、膵頭十二指腸切除400例以上である。出血量(中央値)は通常の肝切除術で600g、膵がんにたいする膵頭十二指腸切除術では700gである。特に積極的に取り組んでいるのは、①解剖学問題で通常は切除不能とされることがある肝門部胆管がん、②難治がんの代表であるすい臓がん、③通常では切除対象としない多発肝転移症例(特に大腸がん)である。
科の症例数・治療・成績
09年からの3年間の症例数は、肝切除09年49例、10年54例、11年60例と増加している。悪性度の高い通常型すい臓がんの切除数も、18例、20例、26例と増加。胆管がんでは特に、中部から上部・肝門部胆管症例の増加傾向が顕著である(3例、3例、10例)。胆道・膵のの悪性腫瘍に対しては、血管合併を伴う手術や肝膵頭十二指腸切除術を積極的に行っていて、高度な切除・再建技術に裏付けされた手術の安全性は高い(死亡率0%)。
名医の条件とは
患者と自分に正直であること。
~がん克服~
森 武生(もり たけお)先生
がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長
1944年 東京生まれ
1971年 東京大学医学部卒業 同年関東逓信病院外科入局
1975年 都立駒込病院外科
1995年 同 病院外科部長
2000年 同 病院副院長
2003年 同 病院院長
2008年 現職
機能温存手術で世界トップクラスの実績
生涯手術数5000例以上、大腸がん2500例
大腸がんの手術は過去、男性機能を失い、女性は尿漏れを起こす性質の悪いがんであったが、こんながん手術を変えたのが森先生の機能温存手術だ。
なかでも、大腸がんに対しては人工肛門を造らない「肛門機能温存手術」や排尿機能と性機能を失わない為の「神経温存手術」を最も得意としている。
大腸がんの手術における日本の第一人者であるが、森先生は単なる「権威者」と異なるのは、60歳を過ぎてからも手術室に入り自ら執刀を続けている事で証明される。
また、手術後のQOLを可能な限り高くする「森式」という手術の普及のため、後進の指導を常に行い、弟子は世界中に散らばって活躍している。
自戒の言葉
森先生は、大腸がんの手術数に於いては他の追随を許さず、日本一であり、がんを取り除いた部位への局所再発率3,6%という治療成績は世界一であり、術後の5年生存率も世界トップくらすだ。そんな森先生は、外科医として「がんに対する闘争心」と「平常心の兼ね合い」を自戒の言葉として後進の指導をされている。
~がん克服~
加藤庸子(かとう ようこ)先生
藤田保健大学脳外科教授 同大学病院救急医療センター長
1978。3 愛知医科大学医学部卒業 研修医
1981.3 足利赤十字病院脳神経外科研修医
1981.9 中華人民共和国蘇州医学第一病院留学
1982.8 トヨタ記念病院脳神経外科
1984.4 藤田学園保健衛生大学脳神経外科助手
1986.4 オーストラリア グラーツ大学留学
1991.4 藤田保健衛生大学脳神経外科講師
2000.4 同大 脳神経外科助教授
2006.4 同大 脳神経外科教授
2008.4 同大病院救急救命センター副センター長兼務
2011.4 同 センター長兼務
真の名医!加藤医師の朝は早い
加藤医師は朝5時に出勤、カンファランス・回診・手術・外来と目まぐるしく立ち働くが、彼女の患者への気配りは細やかだ。
患者と向き合う
「治療への不安を解消するには、患者さん同士で情報交換してもらうのが一番」という信念から、自分が受け持つ患者たちと一緒に、毎朝病院の周囲を散歩している。そんな「早朝の散歩」は、もう10年も続いているという。