がん克服 【簡単に早期発見】 ーがん受診率アップのためにー


血液、唾液でがん早期発見 ~国が支援~

昨年度から国の支援で、健康診断の採決で早期がんを見つけようというプロジェクトが、国立がん研究センターを中心に9機関が参加して進められている。現在、がん検診の受診率が伸び悩んでいるが、血液や唾液で早期発見することが出来ると受信者の負担が少なく、しかも簡易にがんを発見できる。血液などに含まれるがんとかかわる物質は「腫瘍マーカー」と呼ばれ、約40種類見つかっているが、今までは主に進行がんの治療効果を判断するために使われてきた。これをもとにして、がんの早期発見につなげることはできないか。

発症で変動する物質

プロジェクトが標的にするのは、細胞から分泌される「マイクロRNA]とよばれる物質。ヒトのマイクロRNAは2500種類以上あり、血液を調べると300~500種類見つかる。がんになると、その種類や量が変動する。カプセル状の小胞に包まれているため血液中でも分解されず、高速度で検出できる利点があるという。

がんの種類によって特徴的に見つかるマイクロRNAがあり、これらを検出できれば、がんの種類の判別も可能になる。プロジェクトはさまざまながんを一度に調べられる技術の開発をめざし、すでに1万5千人分以上の保存血液を分解した。プロジェクトの責任者である同研究所の落合孝広・主任分野長(分子細胞治療研究)は「乳がんと大腸がんは関係するマイクロRNAの特定を終えており、8~9割の高い精度で診断できるレベルになってきた。体外診断薬としての承認を得るための臨床試験を準備中だ。来年中の承認を目指す」と話す。

承認が得られれば、健康診断の場で早期がんの」スクリーニングも試みる計画。

厚生労働省が科学的根拠があるとして市町村に推奨するがん検診は、肺がん、胃がん乳がんのX線検査、大腸がんの弁検査、子宮頸がんの5種類。だが、負担感持つ人が多く、受診率は伸び悩む。このため、簡易ながん検査の実現への期待は大きい。

東京医科大・慶応大医学部のグループでは

難しいすい臓がんでも

東京医科大や慶應大学などのグループでは、唾液の検査ですい臓がんを見つける技術を報告している。すい臓がんは早期発見が極めて難しいがんだ。グループは、がん細胞が正常な細胞とはエネルギーの代謝法が異なることに注目、がん患者の唾液や血液に含まれる数百の代謝物を網羅的に解析して、健康な人との比較研究を進めてきた。

この結果、膵臓がん患者の唾液中で、濃度が上昇する代謝物を発見した。測定方法を改善し、ステージ1の早期がんの人でも濃度の上昇が確認できた。がん切除後は、この代謝物の濃度が低下する人が多いため、がん細胞から排出されているかをを調べている。

グループの砂村真琴・東京医科大学兼任教授は、外科医として進行した膵臓がんの患者を多く見てきた経験から早期発見の重要性を痛感してきた。「唾液は採取が簡単。早く大規模臨床を実施し、がん患者のために実用化を目指したい」と話す。

呼吸でも・・研究が進む

呼気の成分で健康管理や病気の発見はで来ないか。物質・材料研究機構が開発した小型で高性能の臭覚センサー技術を基に、京セラや日本電気などが参加する共同研究体制が9月に発足した。これまでの研究で頭頸部のがん患者と健康な人の呼気の成分の違いを識別できた。センサーを開発した同機構の吉川元起・研究者は「企業などが持つ解析技術などを統合しどこまでできるか検証したい」と話すす。

近い将来、全てのがんが唾液・血液・呼気で

早期発見が可能に

まだまだ黎明期であるが、唾液・血液・呼気等で各種がんの早期発見に対しての研究は進行している。この研究の臨床試験が終了し、早期発見が実現すれば、かんでの死亡率は極端に低下するはずだ。大いに期待したい。

~がん克服のために~

 

 

がん克服 【白血病治療に朗報】


末梢血提供条件緩和 移植増に期待

厚生労働省の専門委員会は23日、白血病などで行われる非血縁者間の末梢血幹細胞移植で、血液の提供者を緩和する事ことを承認した。末梢血は主に腕から採取するため、提供者の体の負担が少なく、厚労省は移植の増加を期待している。

日本骨髄バンクは12月にも緩和した条件を適用する方針だ。

厚労省によると現行は、血液の提供者と患者の血液の白血球の型が完全に一致する事をもとめているが、一部分の不一致でも移植を認めるように緩和。提供者が要する通院時間の条件も撤廃。採取時に医師の立会を必要としていたが、看護師だけでも認めることとした。

末梢血管細胞移植は、血液のもとになる造血管細胞を健康な人から集め、白血病などの患者に移植する。

全身麻酔が必要な骨髄移植の提供に比べ負担が少ない。

末梢血とは

血管の中を流れている通常の血液。

骨髄や脾臓・肝臓にプールされている血液や、リンパ、組織液などの血液と区別するために末梢血とよぶ。

がん克服【初期のがん、治療するべきか】ー議論促す日米の研究結果


がんを治療すべきか、すべきでないか

議論が白熱

ごく小さな甲状腺がんにさえ積極的な治療を施す状況が何年も続いているが、米国と日本の有名な研究者たちは論文で、古い慣行を見直すように勧め、多くの早期がん患者は経過を見ながら待つのが効果的かもしれないと述べている。

米国甲状腺教会の専門誌「Thyroid(甲状腺)」掲載の二つの論文によると、小さな甲状腺がんを持つ患者を検査・診察しながら見守るこの方法は「活発な監視療法」とも呼ばれ、成長したり転移したりしないがんの摘出手術に代わる可能性がある。

米国がん協会のオーティス・ブローリー最高医療責任者(CMO)は「いつも、がんは恐れる対象であり、全てのがんは悪だと教わってきた。全てのがんは手術すべきだとも教わった)と述べた。だが、今では、前立腺がん、乳がん、甲状腺がんなどいくつかのがんの初期段階に対する治療に対し、かつてないほどの疑問がもたれているという。

現在のがん治療・手術に疑問

内分泌学を専門とするスローン・ケタリング記念がんセンターのR・マイケル・タトル博士は、甲状腺がんと診断される人の数が「非常に増えている」と述べた。タトル氏は、二つの論文の一方の主執筆者だ。

新たな症例が年間6万件を超える状況にあって、タトル氏は早期の甲状腺がんについて、「従来の手法では、直ちに甲状腺手術を受けるよう当たり前のように勧めているが、これを見直すことが重要だ」と話す。電子版に掲載されている日本の研究結果いよれば、注意しながら待つことを選んだ患者の経過は、手術を受けた患者と同程度に良好だったという。

大半の甲状腺がんは症状がなく、無関係の検査で偶発的に判明する。通常、首の付け根の甲状腺に小塊の形で表れ、その後に生体検査と手術が続き事が多い。

だが、一部の手術には正当な理由がないとの声も聞かれそうだ。甲状腺を切除すると疲労や体重増加といった副作用が出ることもある。そのため、手術はもっと慎重にするべきだとタトル氏は主張。「私たちは、技術が自分たちの先を行っていることに気づき始めた」と述べ、「20年前なら見つけられなかっただろう甲状腺がんが見つかっている」とはなす。

タトル氏がスローン・ケタリングで数年前に設置したプログラムでは、綿密な超音波検査や医師の定期訪問を伴う経過観察という選択肢を患者に提供している。初期には医師と患者から強い抵抗もあったが、次第に受け入れられて250人の患者が参加しているという。

甲状腺がん患者のための教会ThyCaは、観察を選択肢に入れる事を支持している。だが、経過観察をしながら待つことを嫌い、せうじょを希望する患者もいるという。

甲状腺がんを注意深く見守るという手法は、より広範囲な議論の一端だ。米国では、悪影響を受けるリスクがほとんど無い。がん以前の病変や初期のがんに対する治療が過剰かどうか議論されタードマス大学医学部のH・ギルバード・ウエルチ教授は、今年出版した著書で、害のない小さな病変の治療について、「私たちは行き過ぎており、解決する以上に大きな問題を生み出す結果になっている」と書いている。

一方、観察支持派も含め、一部の医師は過剰治療への反対が行き過ぎることを警戒している。前立腺を専門とするカルフォルニア大学サンフランシスコ校医学部内科分泌のピーター・キャロル博士は「《診断からがんという言葉を排除しよう》と言う人がいた。それは少し危険だと思う」と述べた。がんという言葉がなければ警戒しないだろうという。

がん協会のブローリー氏は、非浸潤性乳がんが危険な侵襲性乳がんに発展しうる時期についてのデーターが不足しているため、正式な実験をしたいとの意思を示した。ダナ・ファーナー癌研究所のアン・パートリッジ医師も同意見で、他機関のスタッフと実験の準備をしているという。

~がん克服のために~

がん克服 【家族も第二の患者】


家族への支援

がん患者だけでなく、患者の家族への支援も必要だ。

千葉県習志野市の女性(54)は2014年7月、夫(54)がステージ3bの直腸がんと判明した。病気に気づいてあげられなかった後悔や将来への不安を抱える一方、夫の前で弱音を吐けなかった。本やインターネットなどで治療の情報を必死に集め、「免疫力を高める」とされる食事作りに励んだ。友人からは「もっと大変な人もいるから頑張って」と励まされた。がんの話や看護の負担を聞いてもらうのが申し訳なくなり、自然に距離をおくようになった。

「仲間が欲しい。話ができる場所が欲しい」。昨年秋、「NPOがんサポートコニュニティー」が家族会を主催している事を知り、参加した。がん患者の家族4、5人が集まるミーティングで、次第に「苦しい」「つらい」という言葉を口にできるようになった。

「家族は第二の患者」という言葉がある。国立がん研究センター中央病院(東京都中央区)の精神腫瘍科医で「家族ケア外来」担当の加藤雅志医師(41)は「がんは家族の生活も一変させる。家族は負担が大きい一方、周囲から《患者を支える側》として認識され、悲しみや辛さを表に出せないケースも多い」と指摘する。がん患者への調査で、全体の35%が抑うつ状態だったという研究もある。加藤医師は「《〇〇さんの家族》ではなく、その人自身を中心に据えて話を聞く場が必要」と話す。

家族を支える場として加藤医師は、各都道府県のがん診療拠点病院に設置されている相談支援センターを挙げる。患者や家族の悩みに医療ソーシャルワーカーが応じる。また、担当医や看護師に声をかけることも勧める。「家族の生活の質を上げる事は、患者の質を上げることにつながる。一人で抱え込まず周りに相談して」と話す。

遺族外来で・・楽に

一方、支援を受けずらいのが患者を亡くした家族だ。東京都町田市の大竹裕子さん(67)は13年6月、夫重昭さん(当時70歳)を末期の肺がんで亡くした。重昭さんは同年5月28日に自宅で倒れ、救急搬送された病院で末期の肺がんと告げられた。すでに肝臓や骨にも転移し、亡くなったのは12日後だった。「もっとはやく気付いてあげていれば」。大竹さんは重昭さんの死を受け入れられず、後悔の念にさいなまれた。重昭さんと暮らした家にひとりでいることが耐えられず、化粧をし明るい色の服を着て、毎日映画鑑賞や日帰り温泉へ出かけた。それでも眠れない日が続いた。動悸が収まらず、冷や汗が出る。食事がのどを通らず、55㌔あった体重は2ヶ月で39㌔まで落ちた。

同年7月末、毎日新聞の記事で、埼玉医科大国際医療センター(埼玉県日高市)にあるがん患者遺族向けの「遺族が以来」を知った。3日後に訪れた外来で、大西秀樹教授から「悲しみは消えないけれど、喪失感を埋めていきましよう」と声をかけられた。心が少し軽くなった気がした。

大西教授は「がん患者遺族は、《もっとこうしていれば良かった》という後悔や葛藤を抱え続けていることが多い」と話す。大西教授らの調査によると、遺族外来に来る家族のうち約4割がうつ病の症状を抱えていた。しかし、埼玉医科大のように遺族外来のある医療機関は全国にほとんどない。患者の治療が終了すれば医療現場との関係も切れ、孤立してしまいがちだ。大西教授は「遺族には、患者が無くなった日前後に体調を崩すなどの《記念日反応》もある。家族だけでなく遺族も長い目でケアできる体制の整備が必要」と話す。

大竹さんは遺族外来に通い始めた当初「あのときああしていれば」と悔やむ言葉が止まらなかった。それでも話を聞いてもらううちに、少しずつ肩の力が抜けて行った。「ひとりくらいパパのことをいつも思い出して泣く人がいてもいい。今はそう思えるんです」。少し広く感じる自宅には、あちこち重昭さんの写真が飾られている。

~がん克服のために~

 

がん克服 【がんのつらさ】患者同士が共有


がん告知のつらさ

「がんを告知されたから家までに長い道のり、涙があふれて仕方ありませんでした。あの時、病院の中でいったん気持ちを落ち着かせる場所があれば・・・」埼玉県杉戸町で「がん患者会シャローム」を主宰する植村めぐみさん(65)の胸の奥には、今も15年前の記憶が暗く沈んでいる。

精神論は必要なし

植村さんは2000年にがんの手術を受けた。治療の副作用も重なり、難度も「死にたい」と思い、理屈でははかれない悲しみに襲われた。2006年に患者会を組織。「ただつらさを吐き出す場所が作りたかった。がん患者には精神論も根性論も必要ないのです」。

患者をサポートする場所を作りたい

さらに告知の日の辛い経験から、病院内で患者をサポートする場を作ろうと思い立つ。県疾病対策課が動いてくれたこともあり、県立がんセンターで「ピアサポート制度」を実現させた。「ピア」は仲間を意味し、ピアサポートは仲間による仲間への支援だ。がんの仲間が研修を受け、ピアサポーターとして病院などでがん患者の悩みなど聴く。植村さんは現在、同がんセンターをはじめ数か所でピアサポーターとして活躍する。「患者が求めるものは《共感》です」。カウンセリングや具体的なアドバイスをするのではなく、相談者の気持ちを整理することを心がける。

植村さんは相談者から「生きる意味が分からない」と訴えられると、「私も初めは地を這うような日々でした」と伝える。「でもあの時の苦しみがなかったら、あなたの気持ちも分からなかった。人生にとって、意味がないことはないと思います」と続ける。相談者は、「じゃあ、いまわ分からなくてもいいのですね」と、表情が明るくなるという。大事なのは、自分なりの言葉で「共感」を伝える事。ただし、がん患者にかける言葉には配慮が必要だ。(別記)植村さんが患者として、また患者会やピアサポートの活動を通じて分かったことだ。家族や友人など、周囲にがん患者がいる人も是非参考にして欲しいという。

励ますつもりが、逆に患者を傷つけかねない言葉

「頑張ってね」・・十分に頑張っていて、これ以上は頑張りようがない

「偉いね」・・上から目線で評価されていると感じる

「〇〇してあげる」・・がんになったことですでに負い目を感じている

「若いのにかわいそう」・・不幸だとすり込まれているようで、前向きな気持ちがそがれる

「切ったら治るから大丈夫」・・がんは手術後が本当の闘い。何も理解してないと感じる

「人はいつか死ぬから皆同じ」・・確かにそうだが、がん患者は日々、死を意識して生きている

患者同士でなければ分かちあえない

患者同士でなければ分かち合えないことは多い。千葉の乳がん患者会、「アイビー千葉」の代表、斎藤とし子さん(73)は「ひとりで閉じこもると、心の回復に時間がかかる。人の力を借りて元気になることも考えて」とアドバイスする。患者会に入らなくても、病院で開く集いの場になら気楽に参加できる。7年前に乳がんの手術をした同会の関口淳子さん(51)は「患者は、周囲に対して元気であることを装いたいもの。でも、同じ病気の人なら弱音を吐けると話す。「家族奈には特別扱いされたくないし、《病人だから》とやることを制限されると落ち込んでしまう。こちらは動ける範囲で動いているので、ただ見守っていて欲しいのです」。

がん患者を支えるネットワーク

妻ががん患者の場合、夫にはどのような支え方があるのだろうか。横浜市在住のカメラマン、大沼正彦(55)の妻由美子さん(53)は6年前に卵巣がんが見つかった。手術後に抗がん剤治療を受けていたが10ヶ月後に再発がわかった。以来、何度か再発を繰り返しながらも抗がん剤で治療を続ける。

「僕は病気について勉強し、妻は治療をがんばる。それぞれの役割で癌に向き合ってきました。根本的にあるのは、もちろん《死なせたくない》という気持ちです。正彦さんはフリーランスのため時間が自由になり、家事も積極的にこなす。社会人の息子(28)と娘(24)が同居し、一時「家事は家族で分担しよう」と言う事になったが、由美子さんに反対された。「私が居なくなった時を想定しているようで嫌。駄目なときは言うから、私もできることをやって家族に混ぜてほしい」

当初は、治療法に迷うなど正彦さんのストレスも大きかったが、信頼できる主治医と出会ったことで解消された。夫婦の足並みはおおむねそろっているが、たまに感情がぶつかり合うこともある。「妻の苦しみは僕に分かり得ない。でも、《妻ががんになった夫の気持ちはあなたには分からないでしょう》と妻に言ってしまうことも」と正彦さんは笑う。

由美子さんには、ブログで知り合った「がん友」も多く、さらに医療者や患者会と、夫婦を中心に「味方になってくれる」ネットワークが出来ている。卵巣がんの再発から4年半、今は「3ヶ月先は見えるが半年先は見えない」状況だ。しかし、夫婦で新薬の適用を待ちなつつ、希望を持ち続けている。

~がん克服のために~

 

がん克服 【告知乗り越え治療に希望】


淡々に、かつ克明に 湘南記念病院

待合室には「自由につぶやく」という表題のA4判のノートが置かれていた。湘南記念病院(神奈川県鎌倉市)の「かまくら乳がんセンター」患者が病気で押しつぶされそうな気持を、思い思いにつづっている。

「手術後、9年が経ちました。息子2人のシングルマザーで、あきらめるわけにはいかない。でも術後の抗がん剤治療で髪が抜け、先が見えずに絶望・・・。そんな時、私の思いを理解してくれた先生の言葉に大泣きしました。毎年、あと1年、あと1年、と生きています。先生に巡り合えてよかった。」

同センター長で乳腺外科医の土井貞子医師は「告知の時は【あなたのがんはこうで】と淡々と説明します」と話す。同センター独自の手帳に病理検査の結果などを克明に記し、図も示しながら「こうやって治していきましょう」と説明する。中途半端に伝えると、患者はかえって辛い思いをするという。

患者が激しく動揺した場合は看護師が外に連れ出す。「医師が全てをフォローしょうとすると無理が出る。医療スタッフからボランティアのサポートまで得意分野で力を発揮して、患者のケアにあたります」と話す。

病気を理解する

乳がんは、がんの中でも治りやすい一方、十数年経っても再発することがあり、長く付き合わなければならない。土井さん自ら母や叔母を乳がんで亡くしたことで、医師が何を求められているかを痛感し、患者や家族への対応や心構えが変わったという。

皆で温泉に 生きる力を蓄えて帰る

同センターでは定期的にカウンセリングや術後の体のケアなどを行う。また手術を受けた患者を中心に、年2回、土井さんの引率で温泉に行く。旅館を貸切、勉強会の後、術後のありのままでみんなで温泉に入る。参加者は必ずと言っていいほど生きる力を蓄えて帰るという。

土井さん:「がん患者は悲劇のヒロイン」というイメージをマスコミが作りすぎている。私は「かわいそう」という言葉は使いません。もちろん大変だけど誰でもなる病気。普通の事ととらえなければいけない。再発・転移の告知も、患者が「理解していない」と思うと、「次回は1時間取りますからゆっくり話しましよう」と話して帰ってもらう。きちんと話せば患者は必ずパニックから回復する。中には「治らないなら治療は止める」という患者さんもいるが、それは違うと思う。ただ延命するのではなく、つらいことが起こらないよう、治療することで快適な時間を長く作りましょうと、とことん説得します。

告知 悩みは心の不安

がん告知は医師にとっても重い仕事だ。国立がん研究センターの精神腫瘍医で、がん患者の心のケアについて研究する内富庸介医師は「1990年代前半は告知率が2~3割でした。2007年にがん対策基本法が施行されて以降、一気に増え、中小の病院はまだ6~7割ですが大病院はほぼ100%の状況」と話す。告知率が上がった背景はさまざまだが、患者が病を知らなければ、望ましい治療が出来なかったり、家族の間に亀裂が入ったりする可能性もある。

「がんに対する構え方も以前とは変わりました。5年生存率が6割になり、必ずしも悲観する必要はない。とはいえ腫瘍を取り除いても再発の恐怖があり、一度診断されると心への負担が大きいのです」。

告知・治療中の自殺者多数

がんと診断されて1年以内の自殺率が一般人と比べて約20倍とするデーターもある。告知で受けるストレスに加え、「治療で苦しむ」「仕事が続けられない」「家族に迷惑をかける」など将来を悲観して自殺する人も多いという。「いかに希望を持ってもらいつつ告知するか。すい臓や肺などの難治とされる患者や再発患者への告知、また治療の中止などの悪い知らせを医師がどう伝えるかが問題です。がん治療に関わる医療者を対象にセミナーも開かれているが、参加者がなかなか増えないのが現状だという。

患者さんの話に耳を傾ける

サバイバー(がん経験者)の悩みの半分以上が心の悩みです。今後サポート体制をどのように充実させるか」。先月、国会で「公認心理士法」が成立した。心理職が国家資格になることで、がん患者の心のケアの担い手としても期待される。内富さんは強調する。「主治医でも家族でもなく、ただ患者の話に耳を傾ける。そんなケアが必要とされます。

~がん克服のために~

 

 

 

 

 

がん克服 【乳がん検診希望者急増】


北斗さんの手術後3倍に

タレントの北斗昌さん(48)が9月下旬、乳がんで右乳房の全摘手術を受けたことをきっかけに、乳がん検診の希望者が急増している。早期発見早期治療で死亡率が下がる場合もあるが、専門家は「健診の不利益も知った上で受診の判断をしてほしい」と呼びかけている。

今月14日、健診の為東京都世田谷区の保健センターを訪れた同区のパート勤務の女性(54)は、「北斗さんの報道を見て健診を予約した。人ごととは思えない」と話す。同センターによると、北斗さんの報道があってから、健診予約が通常の3倍に増加した。都内の乳がん検診・治療専門クリニックはホームページ上に「現在当院はかなり混み合っています」と掲載。「9月下旬から予約の電話が殺到し、現在は電話がつながりにくい状況」という。

自治体への問い合わせも増えている。大阪市健康つくり課によると、市のがん検診専用電話への予約や問い合わせは通常一日約30件だったが、9月下旬以降1日約100件に急増し、約180件の日も。国が推奨する「2年に1回」という受診ペースについて「毎年受けなくてもいいのか」という問い合わせも多いという。

賢く健診と付き合う

こうした動きに対して聖路加国際病院(東京都中央区)放射線科乳房画像診断室の角田博子室長は「検診を受けていれば絶対に大丈夫と考えないで」と呼びかける。がんにはさまざまな種類があり、進行が非常に速いがんは、検診による早期発見が難しい場合が在る。進行が非常に遅く、生きている間に症状が表れないがんは、検診で発見されると本来必要のない治療を受ける「過剰診断」となる恐れもある。

また結果的には良性腫瘍でも精密検査の負担が大きい「偽陽性」の問題もある。X線を乳房に照射するマンモグラフィー検査を必要以上に受けると放射線被ばくによる乳がんの誘発リスクも生じる。角田室長は「検診の利益と不利益を正しく知り、賢く健診と付き合ってほしい」と話す。

~がん克服のために~

 

 

 

 

がん克服 【乳がん全摘】無い胸を見るのに勇気


乳房を無くす悲しみ

「胸がないのを見るのは、何より勇気が必要でした」今月3日、タレント(元プロレスラー)の北斗晶さん(48)は退院後に開いた記者会見で、ひとことひとことに素直な気持ちを込めた。

北斗さんは、右胸の乳頭の真下に2㌢の腫瘍が見つかり、先月、手術を受けた。脇のリンパに転移ががあり、病期でいえば「ステージ2b]。ステージは初期の「0」から、進行性の「4」まで5段階で示される。乳がんの手術は、初期で見つかれば部分的に切除して乳房を少しでも温存できるが、全摘出が必要な場合もある。北斗さんの場合も「全摘」で、ブログにも、手術後の胸をなななか直視できないつらさがつづられていた。

女性の象徴である乳房を失う。そんな乳がん患者の悲しみは計り知れない。

慰めの言葉にも傷ついて

「体に大きな傷が残り、異形の者になりはてたという心境でした」福岡在住で仕事を持ちながら13歳を頭に4人の子育てに追われるE子さん(48歳)は2011年秋、「安心するために受けた人間ドックで右胸にステージ1の乳がんが見つかった」。「まさか自分が」。当時、末の息子はまだ1歳。授乳をしながら眠るのが何よりも幸せだった。腫瘍は小さいながら広がっていて、医師からは全摘を勧められたが、結局1/4ほどを取り除いた。その約3年後、今度は左胸に腫瘍が見つかる。「この世が終わったかのような衝撃でした」。腫瘍が乳管内にとどまっている「非しゅん巡浸潤のステージ0だったが、右と同じく広範囲に広がっていた。乳首は残せたものの、乳房のほとんどを摘出せざるを得なかった。

ステージだけ考えれば初期のがんだ。しかし周囲の人から「早く見つかってよかったね」と言われると、「見つかった時の私の気持ちが分かりますか」と問い返したくなる。良かれと思ってかけられる言葉にも、深く傷ついた。休職中、子供たちを学校に送り出して一人、家事をしていると、ふいに涙があふれる。「なにも悪いことをしていないのに私が・・・」

最初の手術から4年が経った。「がんであることをまだ受け止められん」と親しい看護師に話すと、「永遠に受け止められんかもね。そのまま行くしかない」と包み込むように言われ、「今のままでいいんだ」と少し楽になった。

乳房再建はまだ考えられない。「今度入院しても、子供4人」の面倒を見てくれる人はいません」夫(51)は「僕はオッパイと結婚したわけじゃない」。と言ってくれる。それだけが救いだ。

乳房再建

乳がん手術で失ったり変形したりした乳房を、形成外科の手術で取り戻す。おなかや背中の皮膚や脂肪などを使う「自家組織」の再建と、シリコンの人工乳房による「インプラント」の再建がある。乳がん手術の後、間をおいて行われる場合もあれば、乳がん手術に引き続いて行う「同時再建」もある。従来は、自家組織の再建のみが保険適用だったが、最近、インプラントの再建も適用になり、選択の幅が広がった。

患者は余裕がない

闘病中の北斗さんのブログには、多い日には2000を超える応援のコメントが寄せられる。一方、「医師から5年生存率が59%と告げられた」という北斗さんの会見の発言には、疑問の声も上がった。実際、乳がんステージ2bの5年生存率は80%とするデーターが多い。

「同じステージの患者さんから、【家族に心配されて困る】という声も聞きます」と話すのは、千葉県の乳がん患者会「アイビー千葉」の関口淳子さんだ。「北斗さん自身、病気についての理解が十分でないのでは。誠実に話したいという気持ちが伝わるだけに悩ましい」。同会の代表、斎藤とし子さん(73)は「でも、告知から手術の人は、みんな北斗さんと同じ」と続ける。「まだ病についてきちんと理解できず、前向きに等なれないのに、治療の選択などをつぎつぎにせまられる。患者は(心身ともに)いっぱいいっぱいなんです。」。

たとえば乳房再建。今は技術が進み、選択肢は広がっている。生死には直接関わらないだけに、医師は患者に選択をゆ委ねる。形は変わっても自分の胸を温存するか、全摘してよりきれいに再建するか、がんを取り切るためにとにかく全摘するかー。全摘した患者は、治療を経て歳月が流れると、乳房を失った悲しみが癒えるのか。アイピー千葉が昨年7月、会員を対象にアンケートを行ったところ、全摘後、主に5~20年経った63人のうち9人が「胸が平らであばらが見えることが今でも辛い」と答えた。一方で、33人は「直後は辛かったが、今はあまり気にならない」と答えた。

がんで体の一部を失うのは乳がんだけではない。斎藤さんは、がん経験者が患者の精神的サポートにあたる「ピアサポーター」でもある。活動の場のサロンには、意を全摘した胃がん患者やストーマー(人工肛門)を備えた大腸がん患者も来る。「治療中、辛くて電車に飛び込もうとした」なんて人もいますと言う。でも大抵の人は手術後の体を受け入れ、不具合をかわす方法を会得して、後遺症と上手に暮らせるようになるそうだ。喉頭がんで声帯を失い、新たな発声法を学ぶ音楽家のつんくさんも、前向きにがんと立ち向かう姿を示している。

がん患者が抱える不安は病についてだけではない。突然の告知は精神的な重荷となり、心まで病んでしまう事になれば、治療に与える影響も小さくない。そのために、経験者によるサポートは必要だ。

~がん克服のために~

 

 

 

がん克服【乳がん検診の推奨年齢を45歳に引き上げ】米がん協会


 

米国がん協会は20日、年に1度のマンモグラフィー(乳房X線撮影法)による乳がん検診の推奨年齢を、40歳から45歳に引き上げる指針を発表した。

米国医師会雑誌に掲載された新方針は、55歳以上の女性については健診を年一度から2年に1度に切り替えるように推奨している。

専門家らは、早期発見は生存率の向上に役立つ可能性があるが、40歳からすべての女性を検診すると、偽陽性、危険性がない腫瘍を取り除く外科手術、外科手術による合併症などの問題を引き起こす可能性があると指摘する。

米ハーバード大医学部のナンシー・キーテンング氏とフリガム・&・ウイメンズ病院のデリア・ベース氏は附属論説で、臨床試験の結果は、マンモグラフィーが若い女性の生存を助けるという点ではほぼ役に立たないということを示していると述べている。

両氏の論説によると、定期検診のお蔭で乳がんによる死亡を回避できる可能性があるのは、1万人当たり40歳代で5人、50歳代で10人だという。

論説は、若い女性の為には、マンモグラフィーの普及よりも、ゲノム危険因子の検出を含む高度なスクリーニング検査を提供した方が良いと指摘している。

~がん克服のために~

 

 

【北斗昌さん乳がん手術】~がん克服を願って~


あん多くの激励メッセージが届く

元プロレスラーでタレントの北斗昌(48)が自身のブログで乳がんを公表し、9月24日に右乳房全摘手術を受けた。術後は順調で、おしどり夫婦として知られる夫の佐々木健介(49)と2人の愛児が献身的に看病を続けている。

毎年秋に乳がんの検診を受けていたそうだが、今年は異変を感じて初夏に前倒し。うつ伏せになった特に右胸に痛みを感じ、春に旅行に行った際には鏡で見ると右の乳房の位置が中心になくて、引きつってるいるように見えたという。

検査の結果、乳房の真下近くに直径2㌢大の腫瘍が見つかり7月7日にがんを告知された。右乳房の全摘出には抵抗もあったが、それでも「愛する子供たちの白髪の生えた顔が見たい。パパといつまでも手をつないで歩きたい」と前を向き、手術を決意するに至る胸中をブログでつずった.。

さらに「脇のリンパにまで転移している可能性がある」とも明かし、抗がん剤治療も始める予定。北斗は「5年先、10年先を生きるためにながい闘い入ります!必ず戻ると現時点では言えませんが…今は”またね!”と言わせてください」と復帰を誓った。

手術は無事に終了。2日後の26日には北斗本人がブログを更新。やはり脇のリンパに転移していたため除去したことを明かしたうえで「自分の足でトイレにも行けるようになりました」と回復ぶりをアピール。それも「オッパイが片方なのは、洋服の上からでも分かるんだけど、どうしてもまだ自分では右胸を見る勇気がなくて・・見たら、パニックになっちゃいそうなので。もう少し落ち着いたら、気持ちをしっかり持って一歩進めれば」と複雑な心境をのぞかせた。

広い交友関係を持つ人だけに、多くの友人・知人が激励のメッセージを寄せている。その一つ一つが北斗の心に届いているだろう。焦らず、完治を目指して頑張ってほしい。

一日も早く、「がん克服」されますよう。

 

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