がん克服【消化器内科のずば抜けた若き名医】
- 2016年05月16日
- がんの名医
大圃 研(おおはた けん)先生
NTT東日本関東病院消化器内科内視鏡部長・主任医長
1974年 生まれ
1998年 日本大学医学部卒業
1998年 JR東京総合病院内科研修医
2007年 NTT東日本関東病院消化器内科医長
内視鏡分野では、ずば抜けた実績を持つ名医
食道・胃・大腸まで全ての消化管の早期がんに対する内視鏡治療(ESD)を得意とし、大腸ESD症例数は年間日本一。全国さまざまな施設から内視鏡の依頼を受け、多忙な日を送っている。これからの内視鏡の世界を牽引していくドクターの一人だ。
医師を目指したきっかけは?
かっこいい話って無いんですよ。僕の所は父親も祖父も祖母も医者なんで、一族代々と3代医者が続く家計なんです。一族全員医者で開業をしていて、そこに長男として生まれましたから、小さいころから「お父さんの跡を継いで医者に」と言われて育ってきているんです。自然と医者になる環境だったんですね。
家は入院設備のある病院で、毎日父親は隣で手術をしているわけです。部屋の中には手術の写真とか、取った胆石なんかごろごろ置いてあるような家だったんです。病院と直接繋がっていて、24時間呼び出し音が鳴っているのが当たり前の家でした。子供のころは、何になると言うよりも医師になるしかないという環境でした。
何となく周りから尊敬されている職業らしいと感じていて、自分でも医者になるのは全然嫌いでなかったり、ごく当たり前のように医師になった感じです。
崇高な志は無かったが
学生時代は猛勉強したかというと、それほど苦労はしてないです。お酒飲んであそんでばっかりで、人の命を救ううという崇高な志を全然持たないまま医者になってしまった。正直なところ、大半の人はそうじゃないですか。
研修医になってからはどうかというと、やっぱりふざけていましたね。人に言われている事をやっているだけですから。ただ、遅刻なんかをするわけではないし、もともとやることを一生懸命やるタイプなんですよ。ものすごい凝り性で、始めたことにはのめりこむんです。学生のうちは遊ぶのが楽しかったんですが、医師になったら、今度はこっちで一番になりたいという思いが出てきたのは確かですね。
無給の時期:この先生に教わりたいの一心で~
僕は特殊なキャリアを歩んでいて、医局に入らずにきているんです。現在の日本の医局制度の中で、特に当時、医局に所属せず単身で行くのは非常に安定しない道なので、大学の医局に入らない人はまずいなかった。僕に安定という言葉がかけていたかも知れないけど、大学に何のために戻るか全く分からなかったんです。それよりも自分のいた病院に教わりたい指導医がいて、やりたいことをひたすらやっていた感じです。それが、そのころ始めた内視鏡です。
研修が終わった後も、非常勤の嘱託という非常に不安定な身分で病院に残りました。当時は現在の様な後記レジデントというポストは無くて、実は最初は無給のような立場でしたね。当時の病院でも前例のない立場で、正規の医局員扱いではなく保険も国保という状態です。あまりにひどい待遇で周りの人からは辞めた方が良いと言われたんだけど、「この先生に教わりたい」という思いだけでやってしまいました。
医局に入る入らないの選択は、当時夢中でそういう事を考える暇もなかったからで、今振り返ってみるとどちらがよかったかなんて分からないと思います。医局に入っていなかったからこそ今があるかも知れないし、医局に入っていたらまた違う医師としての人生はあったでしょう。正直、どちらが良かったなんて比べられないので考えるだけ時間の無駄だと思っています。ただ右へ倣えで人と一緒の道にという考えはないですね。それで嫌なことがあると、後悔してもしきれない。
内視鏡に没頭
いずれにしても無給というのは異常ですね。平日にアルバイトもできたんですが、原則断っていました。勉強するために残っているのにアルバイトをしていては意味がないからです。土曜の昼から月曜の朝までの当直のアルバイトを月2回やって生計を立てていました。それでも生活は苦しくないんですよ。朝から晩までずっと病院にいてお金を使う事がないから。そんな風だから飲んで遊ぶと言うのはピタリと止まりましたね。
僕は頭が悪いので、採血結果とか検査データーなんかをいじくり回しているのは好きではなかったけど、内視鏡は完全にテクニックの問題ですから、そういうのが面白かったんですね。元々指先が器用だったんですが、もっとうまくもっとうまくと、夢中でした。
それから、朝は誰よりも早く病院に行くようになりました。朝6時台から病棟を周って、カーテンを開けながら回診してました。とにかく朝のうちに仕事を終わらせて、上の先生達が9時に検査を始めるのに間に合わせていました。内視鏡は数をこなし、上手なものをたくさん見ないと上達しない。後でもできる書き物等は夜にやっていました。内視鏡は病室よりも内視鏡室が一番の現場で、常にそこに居られるように環境作りをしていました。
今は教える側になったわけですが、僕は要領のいい切れ者だと思っていないんです。だからズルをせずに地道に粛々と頑張る人をかわいがっています。自分がそういう風だから信用できるし、将来ものになると思って一生懸命教えます。そういう人はどんくさい(笑い)からよく怒るんですけど、僕の評価基準ではすごく高いですしそうやって粛々とやっていれば必ず道が開けると思います。