がん克服 【胃がん手術のスペシャリスト】


がん有明病院 消化器外科部長

佐野 武(さの たけし)先生

1955年 大分県杵築市で、400年以上続く名門の医師の家に生まれる。

1980年 東京大学医学部卒業

東京大学医学部付属病院第一外科を経て静岡県焼津市立総合病院勤務

1985年 フランス政府給資留学生としてパリ市キューリー研究所に留学

1993年 国立がんセンター中央病院外科勤務

1996年 国立がんセンター中央病院外科医長

1997年 国立がんセンター中央病院外科部長

1998年 有明病院勤務:現在に至る

日本胃がん学会理事・国際胃がん学会幹事・英国外科医師会の講師をはじめ、ヨーロッパ・南米・

アジア各国で胃がん手術の実演教育に精力的に取り組んでいる。

欧米が認めた日本の「胃がん定型手術」

佐野:世界の胃がん患者の6割弱は、中国、日本、韓国をはじめとする東南アジアが占めています。その中で、診断にしろ治療にしろ常に良いものを追求してきたのは日本。まず、ほかの国から新しいものが出てくることは無いでしょう。

しかし、今でこそ国際的にも信頼を得る治療法として認められつつある「定型手術=胃の2/3以上を切除しD2リンパ節郭清」だが、ずいぶん長い間リンパ節郭清は、日本だけのローカル・ルール的な扱いを受けてきた。その理由は、「日本は世界に向かって発信するのは下手、というか熱心でなかったから」。手順が誤ったまま「定型手術」が行われた例が少なくなかった。

世界に発信 自らスポークスマンに

日本の胃がん治療は、世界有数の技術を持ちながら、その成果を世界に向けて発信していない。

何とか、広く海外にも正しい「定型手術」を伝える事はできないか。欧米の患者は実際日本人と体格も違うし、いろんな要素を丁寧に検討する必要がある。まずは、同じテーブルにつくこと、相手の意見に耳を傾けること、そして根気よく説明する事を目指した。佐野先生は、自らを「スポークスマン」と任じ、「定型手術=D2胃切除」を携え、世界各地を駆け巡ってきた。技術のみならず、その意気まで伝えてきた。

佐野:僕の説明で「初めて理解できた」と言ってくれた海外の医師が何人もいます。

海外から研修に

佐野先生のまいた種は確実に実り、今も1年に10~15人程度の医師がイギリス、イタリア、南米などから研修にやってくる。特に英国外科医師会には「D2コース」(今年から食道がん・胃がんコースと名称変更)という口座があり、生徒は限定16人。教授陣は佐野先生を含め10人。短期間で、中身の濃い授業が行われている。

自分は一生臨床医

築地がんセンターから有明癌研(当時)へ

「あと10年、自分は医師としてどう生きるか」と自問、答えは「やっぱり自分は臨床医」。ためらいはなかった。あくまで自分の人生をつらぬこうと思った。昨年秋、15年務めた古巣を離れ一歩踏み出した。

唯一気がかりな事は患者さんの事。外来で受け持っていた患者さんには、全員自分で書いた手紙を残した。「無事に治療を終えられて、がんセンターを【卒業】されていくことをお祈りいたします」の一言を添えて。

がん克服の為今後のご活躍を祈念致します。

~がん克服のために~

がん克服 【肝臓外科手術の第一人者】


幕内雅敏(まくうち まさとし)先生

日本赤十字社医療センター院長 東京大学名誉教授

1946年生まれ。父に憧れを抱き医師を目指す。

1973年 東京大学医学部卒業

1988年 国立がんセンター病院外来部外科医長

1989年 同上        手術部長

1990年 信州大学医学部第一外科教授

1994年 東京大学医学部第二外科教授

1997年 同上     肝胆膵外科、人口臓器移植外科教授

2007年 日本赤十字社医療センター院

東京大学卒業後一貫して肝臓外科を専門に

【世界の幕内】と呼ばれて久しい

東京大学卒業後、一貫して肝臓外科を専門とし、肝切除の分野では国内はもとより、世界的にもその業績は認められている。肝切除の術中に用いる超音波診断器の開発、肝臓の系統的区域切除術の開発、常にクリエイテブな発想で独自の道を切り拓いてきた。すい臓がんの手術で世界的に注目を集めている、上坂克彦医師(静岡県立静岡がんセンター副院長)も幕内医師が国立がんセンターに勤務中に指導を受けている。その実績と手術の精密さで「世界の幕内」と称されて久しい。

成人生体肝移植を世界で初めて成功

信州大学医学部教授時代に国内3例目の生体肝移植を行い、成人生体肝移植移植に世界で初めて成功。以後、生体肝移植の症例は500を超える。

患者さんのために、やれる事をやっただけ

幕内先生は「目の前の患者さんの為に、やれることをやっただけ」と言うが、三十数年間で2000人以上の命をつないでいる。〈神の手〉と言われるほどの卓越した技術力を持つ外科医を支えてきたのは、「当たり前の事をすること、誰にでも堂々と言える事をすること」。それと失敗から学ぶ謙虚さであり、失敗を克服するための工夫が大切という。東京大学医学部教授時代は年間300以上の手術をこなしていたが、現在は院長を兼ねながら週4~5例。生体肝移植はベテランの医師でも平均16時間ほどかかり、難しい場合は20時間を超える時もあるという。肝切除も長いものがあり、手術は患者もさることながら医師もスタッフも激務である。

 24時間・365日医師であれ

医師は患者さんの為にある。患者さんの事を常に考えるのが僕たち医師です。「24時間・365日医師であれ」が私のモットーです。と幕内先生は諭す。

~がん克服のために~

 

 

 

 

 

 

 

がん克服【治らないがんを治す】肝臓・すい臓・胆管がん


静岡県立がんセンター副院長

上坂克彦(うえさか かつひこ)先生

1958年愛知県豊田氏生まれ。82年名古屋大学医学部卒業。当時新しい分野として注目されていた肝臓外科医を目指す。国立がんセンター病院(東京)にて肝臓がん手術の世界的権威・幕内雅敏医師(現・日本赤十字社医療センター院長)のもとで修行。90年からは、肝門部胆管がんの権威で愛知がんセンター(名古屋市)前総長の二村雄次医師に師事した。02年に静岡がんセンター肝・胆・膵外科部長、11年より現職を務める。

臨床試験報告、世界から注目

膵臓がんの治療で1月に発表された国内の臨床試験の報告が、世界から注目されている。手術の後の再発を防ぐため6ヶ月、従来の標準的な抗がん剤を投与した場合と、経口抗がん剤「S-1(エスワン)」を投与した場合で比較した結果、S-1の手術2年後の生存率は70%と従来の薬より17ポイント高かった。上坂医師には欧米から講演依頼が相次いでいる。「すい臓がんに携わる者として、患者さんを何とか救いたいと始めた研究」と振り返る。

恩師の教え

幕内・二村の両先生からは、血管が複雑に絡み合うデリケートな組織を正確に切る技術もさることながら、「絶対諦めない心」を学んだ。あらゆる手段を考え、患者の為に最善を尽くす。

胆道、肝臓、膵臓などねんかん300を超す手術をこなす今も、その心が精神的な柱。最善の手術法を決める正確な術前診断、手術の高い技量、術後管理を含めたチーム医療の実の高さは定評があり、全国から患者が訪れる。

がん克服 【肝がん手術全国第一位】 日本大学医学部附属板橋病院


 消化器外科部長・消化器外科教授

 高山忠利(たかやま ただとし)先生

1980年日本大学医学部卒業。同大大学院外科学科終了。国立がんセンター中央病院外科医長。東京大学膵移植外科助教授を経て、2001年から現職。

日本外科学会専門医・指導医・評議員。日本消化器学会専門医・指導医・評議員。外科学会高度技術指導医・評議員など。

日本肝臓学会織田賞、東京都医師会賞など受賞。

肝臓外科医のナンバーワン

尾状葉単独切除という手術を世界で初めて成功させた。

尾状葉とは、肝臓の最も奥深い部位で、そこにがんが発生した患者は手術不可能とされていた。医師も患者もあきらめていた肝臓がんの手術に大きな光をあてた医師である。

2001年より板橋病院でメスをふるうが、手術回数は年々増加し、2008年より肝がん手術数では全国第一位を誇っている。(朝日新聞調べ)

 肝がん治療の5年生存率が全国平均より8%UP

高山:30年位前は、肝臓がんと診断されたら余命半年といわれていました。現在手術による治療では、5年生存率は全国平均で53%ですが、板橋病院消化器外科の場合は61%です。30年前はわずか20%程度でしたから大きな改善です。これだけ生存率が高くなったのは、肝臓がん手術の飛躍的進歩と、ラジオ波焼灼療法などの新しい治療法の登場があります。5年生存率は今後とも右肩上がりに上がっていくと考えています。

 板橋病院の5年生存率が高い背景

高山:一口で言えば、私たち消化器外科チームの肝臓がん手術が丁寧であるということです。肝内の小さな血管も、丁寧に止血をしながら手術を進めることによって、私たちは370ccに出血量を抑えて手術が出来るようになっています。全国平均が1000ccですからおよそ1/3です。ですから、輸血の必要もありません。止血を丁寧に行うため、手術時間は他の病院より1.5倍ほど長くなると思います。平均で6~8時間、時には12時間もかけて行う長い手術も珍しくありません。

私の手術を見学に見えた外科医からも「先生の手術は時間をかけてとても細かくて美しくやってますね」と言われます。時間が長くても出血量が少ないということは、間違いなく患者さんのプラスになります。

高山先生の手術を受けるには

高山:最初に外来で診察を受けた日から2~3週間後には手術が可能です。退院は手術をした日から1週間前後です。私どもの手術は出血が少なく、ほとんど輸血を行わず、手術合併症もほとんどありませんので退院も早くなります。

高山先生のモットー「細心と革新」

高山:板橋病院には、他院で切除不能と判断された患者さんが、セカンドオピニオンで訪れることも少なくありません。私たち消化器外科チームは、その中のやく30%患者さんは切除可能と判断し、手術を行っています。その背景を私のモットーである「細心と革新」という言葉で説明させてください。

いま、病院で苦しんでいる患者さんを丁寧に時間をかけて手術する、これは「細心です」。しかし、細心だけでは将来展望が開けません。「革新」つまり学問としてさらに発展させなければ、外科治療の開発や向上について新たな方法論や概念が見えてきません。外科医としてのモチベーションも上がってきません。「細心」と「革新」は車の両輪です。つまり、手術と学問は外科学の両輪なのです。

この信念に基づいて、いま患者さんにとってベストな治療方法を提供しながら、さらにより優れた治療や手術法を目指す私たちの姿勢こそが、訪れる患者さんの希望や治癒の可能性を広げているのだと信じています。

~がん克服のための名医~

 

 

 

 

がん克服【肺がんの原因遺伝子発見】


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<肺がん遺伝子発見> 東京大学教授 間野博行先生

2011年、米国で肺がん治療薬「クリゾチニブ」が承認された。標的となる原因遺伝子を間野先生が発見されてからわずか4年。高い治療効果から、臨床試験の一部を省く異例のスピード承認だった。 研修医時代、最初に診たのが白血病の男性。強い抗がん剤を使ったが、そのかいなく亡くなった。薬で免疫力が落ちて全身の臓器にカビ(真菌)が生えたためと分かった。 「こんな治療法ではだめだ」と痛感し、血液内科で癌研究の道に進んだ。 診療の傍ら、血液がんが起こるメカニズムの研究を続けたが、「患者の役に立っていない」と、忸怩たる思いを抱えていた。分子標的薬の開発が盛んになっていたが、良く効くものは少なかった。「これらの薬は、発がんの原因分子を直接抑えていないのだろう。がんの本質的な原因遺伝子を見つけたい」。3年かけて、患者のわずかな検体から、遺伝子の機能を効率よく調べる技術を開発した。 がんの中でも脂肪率が多い肺がんに取り組み、07年、2つの遺伝子が融合した異常な遺伝子「EML4-ALM」を発見した。この遺伝子を入れたマウスは生後すぐに肺に数百のがんができ、この遺伝子の働きを抑える「ALK阻害剤」を飲ませると、がんが消えたことを報告。ALK遺伝子の異常が、強力にがんを引き起こすことを示した。このタイプは肺がん全体の5%だが、若い人に多い。 米国や韓国では早速、臨床試験が始まった。間野先生は09年、ALKが原因の肺がんを診断する仕組みを国内で作り、希望者を海外の臨床試験に参加させた。「20代の重篤な患者の事が心配でソウルに行ったら、2週間で韓国料理を食べん行くまで回復していて驚いた」と振り返る。10年、国内でも臨床試験が始まり、12年に承認された。臨床試験中を含め世界で8種類の薬が開発され、ALKは腎臓など他のがんの原因になっていることも分かった。 「臓器別ではなく、原因遺伝子でがんを分類し治療する時代が必ず来る。それががん克服の一大要因になる」。 近い将来、必ず「がん克服」は成し遂げられる。  そう確信している。

経歴

昭和59年 東京大学医学部卒業 東京大学医学部付属病院内科 研修医

昭和61年 東京大学医学部第三内科 入局

平成 元年 米国テネシー州St.jude小児研究病院生化学部門 客員研究員

平成 3年 東京大学医学部第三内科 助手

平成 5年 自治医科大学医学部分子生物学講座 講師

平成12年 同 講座             助教授

平成13年 自治医科大学ゲノム機能研究部 教授

平成21年 東京大学医学部ゲノム医学講座 特任教授

平成25年 東京大学医学部ゲノム医学講座生化学・分子生物学講座細胞情報学分野 教授

受賞歴

日本癌学会 奨励賞

佐川がん研究助成振興財団 特研究助成賞

日本肺癌学会 篠井・河合賞

紫綬褒章    他多数

 

 

【がんの名医図鑑】佐藤健吾(さとうけんご)先生


日本には「がんの名医」と謳われる医師は沢山います。当会では、皆様からの投稿を踏まえて国内の名医をご紹介しております。

サイバーナイフを開発した、スタンフォード大学脳神経外科のジョン・アドラー教授の指導を受けるため渡米。(1986~1989)国内に装置が3台しかなかった黎明期から(2000年)サーバーナイフの治療を行ってきた。

サイバーナイフ治療のスーパードクター

浜松医科大学卒業(1980年)

帰国後、岡山旭東病院脳神経外科、新緑会脳神経外科サイバー治療担当を経て

2006年新緑会脳神経外科(横浜サイバーナイフセンター)院長に就任。

佐藤先生が院長を勤める横浜サイバーナイフセンターは、年間の患者治療数で、世界一

の治療数を誇っています。同センターを訪れる患者は2~95歳までと幅広く、治療時間

は20分~1時間程度で日帰り。喉頭がんで治療を受けた93歳の患者は、3日間の通院

後に晩酌が出来るまで回復した。

 

【サーバーナイフ治療の特徴】

「サーバーナイフは、脳腫瘍など首から上のがん治療に使う最新の放射線治療器で、2台

のX線カメラで病巣をとらえ、巨大なロボットアームで照射し最大1200の方向から

0,2mm以内の誤差でがんのみを狙うもので、従来、脳腫瘍の直径3cm、容積15ccが限界

とされていましたが、6cm、100cc以上の腫瘍が治療可能。」

【がんの名医図鑑】福島孝徳(ふくしま・たかのり)先生


日本には「がんの名医」と謳われる医師は沢山います。当会では、皆様からの投稿を踏まえて国内の名医をご紹介しております。

今回の「がんの名医」は、脳外科として世界一の医療水準を誇るアメリカの医療関係者から「神の手を持つ男」と賞賛されている福島孝徳(ふくしま・たかのり)です。

 

脳神経外科医

1942年東京うまれ。

東京大学医学部卒。

同大学医学部付属病院脳神経外科臨床助手。

ドイツのベルリン自由大学、米国メイヨー・クリニック脳神経外科臨床研究フェロー。

再び東京大学付属病院に勤務後三井祈念病院脳神経外科部長

南カルフォルニア大学医療センター脳神経外科教授。

ペンシルバニア医科大学アルゲニー総合病院脳神経科外科教授。

カロライナ頭蓋底手術センター所長及びデューク大学脳外科教授。

 

デューク大学とウエスト・ヴァージニア大学の教授を務め、脳外科顕鏡下手術の「全米トップ」と評価される。脳外科医として歩み始めた1970年代から独自の視点より手術を開発し、驚異的なペースで手術を行っている。単に手術の数が福島の残した足跡ではなく、いかに患者の負担をかけずに手術による一発全治をはたすかというのが、福島の一貫した医療に対する姿勢である。 48歳の時、日本の医学界に疑問を覚え渡米。

米国でも臨床の現場にこだわり続け、40年以上に渡り毎年600人以上(米国:300人、日本:200人、ヨーロッパ/南米ほか100人)もの手術を行い、患者の命を救っている。福島が開発した「鍵穴手術(キーホールオペレーション)」は、頭部に500円硬貨ほどの穴を開け、顕微鏡を使って切除・縫合する。患者の予後を一番に考慮。

この超人的な技術により、通常の開頭手術に比して大幅に患者の負担が軽減され、世界中の患者から絶大な支持を受けている。世界一の医療水準を誇るアメリカの医療関係者からも福島は、「神の手を持つ男」と賞賛されている。

 

    福島孝徳医師が薦める脳外科の名医

【脳腫瘍手術の名医】

■ 堀   智勝 医師(東京:森山社会祈念病院名誉院長)

■ 森田 明夫 医師(NTT東日本関東病院)

■ 澤村  豊  医師(札幌:さわむら脳神経クリニック・北海道大学病院)

■ 寺坂 俊介 医師(札幌:手稲渓仁会病院)

■ 河野 道宏 医師(東京警察病院)

■ 大畑 建治 医師(大阪市立大学附属病院)

■ 有田 和徳 医師(鹿児島大学病院)

 

【脳血管手術の名医】

      上山 博康 医師(旭川赤十字病院)

      谷川 緑野 医師(網走脳神経外科・リハビリテーション病院)

      宝金 清博 医師(札幌医科大学附属病院)

      永田  泉 医師(長崎大学医学部・歯学部附属病院)

      永田 和哉 医師(NTT東日本関東病院)

      塩川 芳昭 医師(杏林大学病院)

      小川  彰 医師(岩手医科大学附属病院)

      佐野 公俊 医師(藤田保健衛生大学病院)

 

福島医師の所在地

東京クリニック

東京都千代田区大手町2-2-1 新大手町ビル1F

TEL03-3516-7151

 

【がんの名医図鑑】笹子三津留(ささこ・みつる)先生


日本には「がんの名医」と謳われる医師は沢山います。当会では、皆様からの投稿を踏まえて国内の名医をご紹介しております。

今回の「がんの名医」は、胃がん手術の世界的権威として知られる兵庫医科大の上部消化管外科主任教授でいらっしゃる笹子三津留(ささこ・みつる)先生です!

 

笹子三津留(ささこ・みつる)先生

兵庫医科大上部消化管外科主任教授

1950年兵庫県西宮市生まれ。

東京大学医学部卒。

東大第2外科医局長、国立がんセンター中央病院外科医長、同副院長を経て、08年から現職。胃がん手術の世界的権威として知られ、執刀を望む患者が後を絶たず、時には海外からも訪れる。よりよい手術法を研究する傍ら、EBM(科学的根拠に基づいた医療)や患者への告知でも先駆け的な取り組みをしてきた。

56歳で国立がんセンター中央病院の副院長になったが、会議漬けとなった為、残された時間に何をしたいか考えた時、答えは「臨床に戻り、若い人に技術を伝えていく」との結論に達し、兵庫医大に移る。診察に集中し、自ら年間140件の手術を執り行っている。

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