がん克服【神業を持つ外科医】


高見裕子(たかみ ゆうこ)先生

国立病院機構九州医療センター 肝臓・胆道・すい臓外科科長

1965年 愛媛県今治市生まれ(今治西校)

1988年 九州大学薬学部卒業

1990年 長崎大学医学部入学

1996年 長崎大学医学部卒業 同第二外科研修医

1997年 九州医療センター外科研修医

1998年 長崎県立島原温泉病院外科医

1999年 国立療養所村山病院外科医

2002年 九州医療センター外科医

2011年 同肝臓病センター肝・胆・膵外科科長

肝機能が悪くても受けられる「マイクロ波凝固壊死療法」

 肝臓がんの手術を行えるかどうか、その大きな障害となるのが肝機能だ。どんなにがんが小さくても、肝機能が悪いと治療を断念する場合が少なくない。高見先生は「そんな患者さんの為にあるのがマイクロ波凝固壊死療法だ」と明言。

周囲の反対を押し切って

 高見先生の、この治療に掛ける情熱は並々ならぬものがある。研修医時代、担当教授から「才津先生の肝臓治療をよく見てきなさい」と派遣された病院で目にした才津秀樹先生(現・国立病院機構九州医療センター胆道・肝臓・膵臓外科医療企画運営部長)のマイクロ波凝固壊死療法の技術と治療成績に驚きを覚える。「これなら治療をあきらめていた患者も救える」と決心し、当時在籍していた医局の教授や周囲の反対を押し切って飛び出し、才津先生の門下生の一人となった.

  今では、その才津先生も高見先生の腕に太鼓判を押すマイクロ波療法の名手となって、多くの手術で執刀医を務めている。

肝臓がん治療の位置づけが歯がゆい

 「この治療の考え方は手術と同じです。がんをくり抜くように焼くので、肝切除のように肝臓を大きく切らなくてすみます。また、単にがんの中心に針を刺して焼くのでなくて、周囲の組織やがんに栄養を送る血管から焼いていくので、播種(がん細胞が散らばる)の危険性が低い。これこそ理にかなった治療」と胸を張る。

 だからこそ歯がゆいのは、現在の我が国の肝臓治療における、マイクロ波凝固壊死療法の位置づけ、扱われ方と話す。国立病院機構九州医療センターでは多くの肝機能の悪い患者さんが治療を受け、元気で退院していくのにもかかわらず、一部の心無い人から「焼肉療法」と揶揄(やゆ)されたこともあると言う。「肝切除の技術がないから焼いているのだろう」とも言われ、悔しい思いをしてきた。

胆肝膵外科高度技能専門医の資格を取得

 外科医としての技術の高さを証明するため、高度の技術を有する医師を認定する「胆肝膵外科高度技術専門医」の資格を取得。初年度の合格者は12名という狭き門であったがそのうちの一人が高見先生だ。

 合格の通知があった時の情景を昨日のように思い出す。「そのとき、外科医にとって大切なハサミを、飛び出して(お祝いに)来た医局の教授から戴いたんです。ああ、これで恩師でもある教授から認めて戴けた、と熱いものが胸をよぎりました」と話す。

今後の目標

 マイクロ波凝固壊死療法の開拓者、才津先生の跡を継ぐ者としての自覚が、熱い言葉に。

「この療法は海外も注目し始めています。しかし、日本で行っている施設は殆どありません。将来一人でも多くの患者さんがこの治療を受けられるよう、普及させて行きたいと思います」。頼もしい高見先生の言葉だ。

~がん克服~

がん克服【放射線治療の権威】


中山優子(なかやまゆうこ)先生

神奈川県立がんセンター放射線腫瘍科部長

1959年 神奈川県横須賀生まれ

1984年 群馬大学医学部卒業

1999年 同大     放射線科講師

2005年 東海大学医学部放射線科准教授

2008年 神奈川県立がんセンター放射線科腫瘍科部長就任

中山先生に聞く

放射線治療医の魅力

 放射線治療を専門とするがん専門医のことを、私たちは放射線腫瘍医と言っていますが、ここでは分かりやすく放射線治療医という言い方をします。

 私が卒業した群馬大学医学部は、放射線治療がとても盛んで、講義も臨床実習も内科や外科同じコマ数があり、お蔭でびっしりと放射線治療について学ぶことが出来ました。

 放射線治療が対象とするがんは広範囲です。がん治療では通常、消化器、呼吸器など診療科ごとに特定の臓器への関与に限られます。しかし、放射線治療は、脳腫瘍から骨、皮膚、その他全ての臓器と横断的に関わると言うのが、私にとって一番の魅力でした。医療手技についても幅広く習得できました。日常臨床で、頭頸部の診察なら喉頭ファイバー、肺の診療なら気管支ファイバー、消化器であれば消化管の内視検査、婦人科であれば内診をやりますから、このような手技的にも幅広く経験できるのです。

 放射線治療では、人の身体全体を診ることにより新たな知識を得ることができます。たとえば、放射線治療は、喉頭がん、子宮頸がんの早期には非常に高い治療効果があるので、同じ扁平上皮がんの肺がんでも治療効果は高いはずだ、などの考えが出来るようになります。

 このように、医師としての深い知識を横断的に得る事ができたのも大きな魅力だと言えます。

幅広い放射線治療の可能性

 がんにおける放射線治療の活用法は幅広いものです。まず、がんの根治を目的とする根治照射、延命を図るための姑息照射、そして骨転移・脳転移などの症状を和らげる緩和照射まで適応が可能です。それに加え最近では、一方向からの放射線の線量を変えたり、精度高く照射部位を絞ったり、重粒子線などを用いることによる治療のバリエーション拡大で、個々の患者さんに会った治療のの選択が出来るようになりました。 

 放射線治療の特徴として考えられるのは、まず身体への侵襲の少なさです。放射線治療は一般に身体外からの照射ですから、メスを入れずにすみます。また、放射線治療は、局所療法ですので、抗がん剤とは異なり全体の副作用が少ないのです。そのため、全身状態の悪い人や高血圧・心臓疾患などの合併症を患っている方、高齢者にも適応しやすいというメリットがあります。

 もう一つの特徴は、臓器の機能保持が可能だと言う事です。同じ局所療法でも手術とは異なり、放射線治療せは臓器を残し機能を温存することができます。例えば、声門部がんでの後頭部摘出などは、患者さんのQOLに関わる大変重要な問題ですが、放射線治療が適応できれば喉頭部を残すことが出来ます。臓器を残すというメリットは、非常に大きいと思います。

 放射線治療が有効ながんの代表は、早期の頭頸部がんです。その他、子宮頸部などの扁平上皮癌には非常に高い効果があります。

 また、進行がんにも適応が確立しつつあり、遠隔転移のない肺、食道、頭頸部の進行がんでは抗がん剤と併用する科学放射線療法が積極的に行われています。さらに、術後の照射にも使用が拡大しています。乳がん乳房温存手術後の放射線照射により、術後の顕微鏡的な残存腫瘍を根絶するというものです。この治療により再発リスクが3分の1に減少することが明らかになっています。

 放射線治療の新しい分野である重粒子線治療についても具体的な有用性が明らかになっています。骨肉腫や悪性黒色腫などの難治性腫瘍や穏やかな背索腫などで効果を上げています。今までのX線では治らなかったがんが治癒できると言う事は画期的なことです。何よりも患者さんにとって非常に大きな朗報と言えるでしょう。重粒子治療が行えるのは千葉県の重粒子医学センター病院など日本全国で現在3つしかありませんが、今後増えていくでしょう。

がん治療に関わる先生方にも、知ってほしい

 我々からのアプローチ不足もありますが、がん治療に関わる先生方は放射線治療のメリットをあまりご存じない方もいらっしやいます。たとえば、頭頸部と食道に合併しているがんでは、放射線治療により療法治療できるという大きな利点があります。国でも、がんプロフェッショナル養成プランにより、放射線療法に関する腫瘍専門医の養成を推進しています。

 中山先生は、各種がんのスペシャリストの先生方と連携し、治療・手術前に治療法の検討会を設けていければと話す。

~がん克服~

がん克服【肺外科手術の歴史に名を刻んだ名医】


岡田守人(おかだ もりひと)先生

広島大学病院 呼吸器科教授

1962年 兵庫県生まれ                              

1988年 奈良県立医科大学卒業

1995年 神戸大学大学院医学系研究科(循環呼吸器科)終了(医学博士) 

1999年 米国ニューヨーク・コロンビア大学胸部心臓外科研究員

2002年 兵庫県立がんセンター医長

2003年 同     センター科長

2007年 広島大学病院 循環器科教授

肺がんハイブリッド胸腔鏡手術の名医

 わずか4cmだけの開胸で肺がんを切除する。その技術は助骨一本も傷つけない、身体に負担の少ない手術で、手術1ヶ月後にはゴルフのスイグができると言われる。世界でも屈指の技術で、日本だけでなく海外からも招聘されて手術・指導を行っている。

肺がんなどの手術を行う胸部外科医の教科書的な書籍にその名を残す

  岡田医師が編み出した、ハイブリッドVATSという技法は肺の部分摘出で、肺活量を少しでも維持する治療法で、その技法は胸部手術の教科書とされている書籍に記載され、胸部外科手術の新技法(の名医)として名を残す。

岡田先生の心構え

素晴らしい人間性

 私は2007年4月に腫瘍外科教授として着任いたしました。伝統あるがん専門の診療科として広島の中核的な役割を担い、私の専門とする肺がん・呼吸器外科はもちろん、乳腺内分泌外科、一般消化器外科のがん検診を世界的な科学的根拠に基づいて行います。目標は「超一流の向こう側」です。日本の腫瘍外科領域のオピニオンリーダーとして、特に呼吸器外科領域では機能温存手術(縮小手術、気管支血管形成術)、低侵襲手術(胸腔鏡アプローチ)中皮腫診療(胸膜肺全摘手術を含めた集学的治療)で、常に最新の情報を世界に向けて発信を続けています。

 我々を頼ってこられる患者さんに、最先端・最高レベルの手術を含めた医療の提供をすること、決して妥協しない姿勢で新しい治療法にチャレンジする事、実際の診療に直結する難治がん克服のための研究を実践することを常に考えています。さらに、次世代を担う高いモチベーションを持つ腫瘍外科医を育てることが私の責務です。そのためにはまず自らが模範になるような外科医になること。すなわち若い外科医たちの目標になることが必要です。自分自身が温かみのある人間性と深く体系的な知識、納得させるに足りる技術、そして自らの反省、深い洞察力、強い向上心を示さなければならないと考えています。

 当科でトレーニングを受けられる若い医師が、腫瘍外科専門医として臨床実地医療の場で多くの患者さんに真に信頼され、近い将来、世界に羽ばたいてほしいと切に願っています。

~がん克服~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

がん克服【呼吸器外科のスーパードクター】


伊達洋至(だて ひろし)先生

京都大学医学部付属病院呼吸器外科教授

1984年 岡山大学医学部卒業 同大学院医学部第二外科入学
1988年 大学院卒業
1989年 ワシントン大学胸部外科肺移植研究生
1993年 岡山大学医学部附属病院第二外科助手
1993年 クリーブランドクリニック胸部外科フェロー
1994年 ワシントン大学胸部外科移植フェロー
2002年 岡山大学医学部第二外科講師
2004年 岡山大学大学院医歯薬学総合研究科腫瘍・胸部外科助教授 
2006年 同 上 教授 
2007年 京都大学大学院医学研究科器官外科学講座呼吸器外科学教授 

外科専門医 呼吸器外科専門医 がん治療認定医 日本移植学会認定医

患者さんに信頼される医師になる

 外科は、自分の腕次第で患者さんの命を直接左右する医療です。その責任は重く、一流の外科医になるためには、厳しい習練が必要です。しかしながら「先生に手術してもらいたい」「先生に手術してもらって本当に良かった」という患者さんの言葉を聴くとき、外科医になって本当に良かったと感じます。患者さんに信頼される呼吸器外科を目指しています。

実績 手術例3000以上

 伊達先生は、これまでに進行肺がんや肺移植の手術を約3000例も手掛け、その成績も世界的に飛びぬけています。肺の外科手術において卓越した技術を持っていますが、中でも肺動脈(極めて薄い上に血流が多く、正確に縫わないと大出血に繋がる難しい、血管心臓と肺をつなぐ動脈)の縫合を通常の半分程度の時間でやり遂げるのは圧巻です。

 数々のメディアでも紹介されていますが、2010年にNHK「プロフェッショナル仕事の流儀」で紹介され、大きな反響を呼びましたが、その後も活動を続けられ、2013年12月2日に再度同番組に取り上げられられました。

 伊達先生の元には、他の病院で手術が難しいと言われた患者が多数訪れています。      また、藁をもつかむ思いでいる患者に対して、毎日時間を見つけては気さくに病室を訪ね、朗らかな笑顔で接し、心をほぐしています。

 医療技術のみならず、ホスピタリティマインドにも富む。まさにスーパードクターと呼ぶにふさわしい診療日々を行っています。

がん克服【肺がん手術のスペシャリスト】


鈴木健司(すずきけんじ)先生

順天堂大学医学部付属病院 呼吸器科教授

順天堂大学医学部・大学院医学研究科教授

1965年 東京都生まれ

1990年 防衛医科大学卒業

1991年 同 上   臨床研究医

1995年 国立がんセンター東病院レジデント

1999年 国立がんセンター中央病院スタッフドクター  

2007年 同 上         医長

2008年 順天堂大学医学部呼吸器科教授

年間200例以上の肺がん手術をこなす

 肺がんをメスで切り取る手術を最も得意とし、熟練テクニックを駆使し難度の高い手術をこなす。もちろん、がんを取り除くのが第一だが、体への負担を出来るかぎり減らすクオリティを追求する。

鈴木医師:肺がんと診断されたら、がんがどのくらいの大きさなのか、他の臓器まで広がっていないのかなどさらに詳しい検査を行い、がんの進行度合い(病期・ステージ)をきめる。病期は0期、1期(1A、1B)、Ⅱ期(ⅡA、ⅡB)、Ⅲ期(ⅢA,ⅢB)、Ⅳ期に分類され、肺がんは発見時点でステージⅢAかⅢBが多く、手術を受けられないケースも多いため「まずは早期発見が大事」定期的ながん検診をおすすめします。

 肺がんの健診には胸部X線撮影、喀痰細胞診、胸部CTの三つがあり、それぞれの特徴はX線はがんがある程度大きくならないと映らない。喀痰細胞診は肺の入り口に出来るがんの発見に適しており、喫煙と深い関係のあるがんの発見に有効。胸部CTはどのタイプのがんにも有効で、特に腺がんの発見に役立ちます。

 診療に関しては、患者の状態と意向を勘案して治療方針を決めており、手術に関しては体の負担が少なく、安全な手術を心がけています。また、がん治療には「手術・放射線治療・化学療法」を組み合わせた集学的治療が重要です。術後の補助化学療法のほか、がんが大きくて手術が難しい場合は化学療法や放射線療法でがんを小さくしてから手術をする場合もあります。高齢や合併しようなどで手術に耐えられない患者さんには、縮小手術やリンパ節切除の省略など、身体への負担が少ない方法で手術を行います。

他施設で断られた難しい手術も可能

 鈴木医師は、肺がんをメスで切り取る手術を最も得意としている。手術は「肺葉切除」が国際的な標準治療となっているが、最近はさらに切除範囲を小さくした狭い単位で切除する「区域切除」と、もっと小さく切除する「部分切除」も多く行われるようになってきている。区域切除とは、右肺では10に、左肺では8に分かれている「区域」という単位でがんを取り除く方法。部分切除とは、がんを中心にして楔形に切除する方法で、がんをくり抜くように切り取る。いずれも肺の切除範囲が葉切除より小さく、患者の身体的な負担は軽減される。しかし、切除範囲が小さくなれば手術の難易度も増し、医師の技量が問われる。

 鈴木医師は、「葉切除では体力や健康に問題ない人であれば6~10日ほどの入院を要するのが普通ですが、縮小手術はこれより数日間短縮でき、また仕事への復帰など社会復帰の期間短縮も十分期待できます。しかし、縮小手術は適応できる患者さんが限られますので、大きさや個数などがんの状態、患者さんの体力や健康状態にも大きく左右されるため、検討を重ねて治療法をきめています」と語る。

 また、他施設で手術はを断られた難しい症例でも「患者さんや家族の皆さんと話し合い、手術によるリスクを説明し、共有できれば引き受けます」と言う。

累積症例数 2600例(肺がん切除例は1800例)

鈴木先生の診察を受けるには

 鈴木医師の診療は月曜日。紹介状持参。無い場合は初回の会計事に「初診時選定療養費」として5400円(自費)が必要。

~がん克服~

 

がん克服【食道・胃・大腸・肝臓がん手術の大家】最先端技術を導入


桑野博行(くわの ひろゆき)先生

群馬大学医学部病態総合外科学(第一外科)教授

1952年 福岡市生まれ

1978年 九州大学医学部卒業 第二外科入局

1984年 米国ハーネマン大学医学部留学 

1985年 九州大学医学部大学院修了

1986年  同     助手

1994年  同     講師

1997年  同     助教授

1998年 群馬大学外科学第一講座教授

基礎研究から臨床まで非常に豊富な知識を持つ専門家

 食道がんの鏡視下手術(回復しないで手術)で、日本トップの症例数を誇る国立がん研有明病院の渡邊雅之先生はこう言って推奨する。

 食道がん治療ガイドラインに基づいた診療方針を遵守し、高い治療成績を維持しつつ患者さんの心と体に優しい内視鏡治療や低侵襲手術などに積極的に取り組んでいる。また内科医や放射線科医とともに理想的な集学的治療を実現し、ポシドロン断層撮影検査(PET)や光線力学療法(PDT)などの最新映像診断や治療設備による診断体制を行い、世界トップレベルの治療成績を上げている。

年間執刀数 食道がん45例 胃がん40例 大腸がん30例 肝がん20例 肝移植手術      10例

累積手術数 食道がん1400例 胃がん600例 大腸がん500例 肝がん200例                                      肝移植手術40例

診察の心が

 ①患者さんの立場に立って同じ目線で対応する。②常に医療技術と知識を磨き、それを分かりやすく伝える。③患者さん本人、ご家族そして医療スタッフの全てが一つのチームとなって診療をする体制を整える。④常に誠意をもって正直に対応する。

手術の心がけ

 ①常に万全の体調と心で臨むこと。②常に冷静に対処すること。③周囲と調和した手術の環境を心がけること。

~がん克服~

がん克服【大腸・直腸がんのスペシャリスト】


渡邉聡明(わたなべ としあき)先生

東京大学医学部付属病院副院長 腫瘍外科教授 大腸肛門外科科長

1957年 長野県生まれ

1985年 東京大学医学部卒業 第一外科研修医

1993年 国立がんセンター中央病院チーフレジデント

1994年 東京大学第一外科助手

1995年 米国ジョンズ・ポプキンス大学留学

1997年 東京大学病院腫瘍外科助手

1998年  同 大 講師

1999年  同 大 助教授

2006年 帝京大学 教授

2012年 東京大学 腫瘍外科学教授

2013年 同 大  腫瘍外科学・血管外科学教授

2013年 同 大 附属病院副院長

通算手術数2500例以上の実績

 渡邉医師は、大腸・直腸がんの機能性温存・低侵襲手術のスペシャリスト。その手術数は2500例以上を数える。ほとんどの手術を腹腔鏡下に行い、最先端のロボット手術にも積極的に取り組んでいる。肛門温存・機能温存に注力しており、欧米で行われている「術前放射線療法」を直腸がんの集学的治療として早くから導入し、その治療数は400例以上で国内最多である。国内外の臨床試験などで実証された標準治療をまとめた権威ある「大腸がん治療ガイドライン」の作成委員会の委員長でもある。

診療を受けるには

 基本的には紹介状が必要だが、無い場合も受診可能(要相談)。初診で外来を受診する場合は予約が必要。

~がん克服のために~

がん克服【消化器内科のずば抜けた若き名医】


大圃 研(おおはた けん)先生

NTT東日本関東病院消化器内科内視鏡部長・主任医長

1974年 生まれ

1998年 日本大学医学部卒業

1998年 JR東京総合病院内科研修医

2007年 NTT東日本関東病院消化器内科医長

内視鏡分野では、ずば抜けた実績を持つ名医

 食道・胃・大腸まで全ての消化管の早期がんに対する内視鏡治療(ESD)を得意とし、大腸ESD症例数は年間日本一。全国さまざまな施設から内視鏡の依頼を受け、多忙な日を送っている。これからの内視鏡の世界を牽引していくドクターの一人だ。

医師を目指したきっかけは?

 かっこいい話って無いんですよ。僕の所は父親も祖父も祖母も医者なんで、一族代々と3代医者が続く家計なんです。一族全員医者で開業をしていて、そこに長男として生まれましたから、小さいころから「お父さんの跡を継いで医者に」と言われて育ってきているんです。自然と医者になる環境だったんですね。

 家は入院設備のある病院で、毎日父親は隣で手術をしているわけです。部屋の中には手術の写真とか、取った胆石なんかごろごろ置いてあるような家だったんです。病院と直接繋がっていて、24時間呼び出し音が鳴っているのが当たり前の家でした。子供のころは、何になると言うよりも医師になるしかないという環境でした。

 何となく周りから尊敬されている職業らしいと感じていて、自分でも医者になるのは全然嫌いでなかったり、ごく当たり前のように医師になった感じです。

崇高な志は無かったが

 学生時代は猛勉強したかというと、それほど苦労はしてないです。お酒飲んであそんでばっかりで、人の命を救ううという崇高な志を全然持たないまま医者になってしまった。正直なところ、大半の人はそうじゃないですか。

 研修医になってからはどうかというと、やっぱりふざけていましたね。人に言われている事をやっているだけですから。ただ、遅刻なんかをするわけではないし、もともとやることを一生懸命やるタイプなんですよ。ものすごい凝り性で、始めたことにはのめりこむんです。学生のうちは遊ぶのが楽しかったんですが、医師になったら、今度はこっちで一番になりたいという思いが出てきたのは確かですね。

無給の時期:この先生に教わりたいの一心で~

 僕は特殊なキャリアを歩んでいて、医局に入らずにきているんです。現在の日本の医局制度の中で、特に当時、医局に所属せず単身で行くのは非常に安定しない道なので、大学の医局に入らない人はまずいなかった。僕に安定という言葉がかけていたかも知れないけど、大学に何のために戻るか全く分からなかったんです。それよりも自分のいた病院に教わりたい指導医がいて、やりたいことをひたすらやっていた感じです。それが、そのころ始めた内視鏡です。

 研修が終わった後も、非常勤の嘱託という非常に不安定な身分で病院に残りました。当時は現在の様な後記レジデントというポストは無くて、実は最初は無給のような立場でしたね。当時の病院でも前例のない立場で、正規の医局員扱いではなく保険も国保という状態です。あまりにひどい待遇で周りの人からは辞めた方が良いと言われたんだけど、「この先生に教わりたい」という思いだけでやってしまいました。

  医局に入る入らないの選択は、当時夢中でそういう事を考える暇もなかったからで、今振り返ってみるとどちらがよかったかなんて分からないと思います。医局に入っていなかったからこそ今があるかも知れないし、医局に入っていたらまた違う医師としての人生はあったでしょう。正直、どちらが良かったなんて比べられないので考えるだけ時間の無駄だと思っています。ただ右へ倣えで人と一緒の道にという考えはないですね。それで嫌なことがあると、後悔してもしきれない。

内視鏡に没頭

 いずれにしても無給というのは異常ですね。平日にアルバイトもできたんですが、原則断っていました。勉強するために残っているのにアルバイトをしていては意味がないからです。土曜の昼から月曜の朝までの当直のアルバイトを月2回やって生計を立てていました。それでも生活は苦しくないんですよ。朝から晩までずっと病院にいてお金を使う事がないから。そんな風だから飲んで遊ぶと言うのはピタリと止まりましたね。

 僕は頭が悪いので、採血結果とか検査データーなんかをいじくり回しているのは好きではなかったけど、内視鏡は完全にテクニックの問題ですから、そういうのが面白かったんですね。元々指先が器用だったんですが、もっとうまくもっとうまくと、夢中でした。

 それから、朝は誰よりも早く病院に行くようになりました。朝6時台から病棟を周って、カーテンを開けながら回診してました。とにかく朝のうちに仕事を終わらせて、上の先生達が9時に検査を始めるのに間に合わせていました。内視鏡は数をこなし、上手なものをたくさん見ないと上達しない。後でもできる書き物等は夜にやっていました。内視鏡は病室よりも内視鏡室が一番の現場で、常にそこに居られるように環境作りをしていました。

 今は教える側になったわけですが、僕は要領のいい切れ者だと思っていないんです。だからズルをせずに地道に粛々と頑張る人をかわいがっています。自分がそういう風だから信用できるし、将来ものになると思って一生懸命教えます。そういう人はどんくさい(笑い)からよく怒るんですけど、僕の評価基準ではすごく高いですしそうやって粛々とやっていれば必ず道が開けると思います。

 

がん克服【前立腺がん凍らせて退治】世界初の治療法


三木健太先生 日本が誇るトップドクター

 東京慈恵会医科大学付属病院泌尿器科診療副部長

 1964年 神奈川県生まれ

 1993年 慈恵医大卒

 2003年 同大で、国内2番目となる前立腺がんの小線源治療を始める

 2015年 前立腺がん凍結療法をスタートさせる

三木医師と凍結療法の出会い

「2000年、慈恵医大柏病院で、腎臓がんの凍結療法を見せてもらったのがきっかけです。がんに針を刺して凍らせたら、治ってしまった。針を指す時、皮膚に局所麻酔はしますが、全身麻酔はかけない。患者さんはうつ伏せになって、看護師と会話しながら治療を受け、翌日には退院していった。すごい技術だと感動して、前立腺も凍らせて治したいと考えました。」

 日本人男性のがん患者数トップの前立腺がん。体にやさしく男らしさも失わない「夢の治療法」

 現在、日本人の前立腺がんによる死亡数は年間12,000人で、男性のがん死亡件数の約5%を占める。患者数は急増傾向にあり、昨年胃がんや肺がんを抜いて、男性のがん罹患率全体のトップとなる約10万人に達した。

 治療法は、手術・放射線療法・ホルモン療法・積極的監視療法(無治療経過観察)の4通りあるが、そこに三木医師は、第5の治療法をもたらそうとしている。

 それが、「凍結療法」だ。特殊な針をがん細胞の近くに数本刺し、凍結用のガスを注入。針の周りにキリタンポ状の氷の玉を作り、がん細胞をマイナス40°に冷却して壊死させる。三木医師率いるチームが昨年10月、日本初の臨床研究を開始した最先端の治療法だ。

体に負担がかからない様、出来るだけ手を触れず、魔法の様に病気を治せないか・・と夢に描いてきた三木医師。

 治療は、患者の肛門付近に長さ20cmほどの針を突き刺す。エコーの画面で針が正確に挿入された事を確かめた後、ガスを噴出させる。患者の体内で氷の玉が作られていく。氷の出来具合を知る手がかりは、肛門に挿入した温度センサーの数値、エコーの画面と医師の経験知だ。

 願はマイナス40°Cまで冷やすが、尿道は0°C以下にしてはいけない。細胞が破壊され、排尿が出来なくなってしまう恐れがあるからだ。そのため、膀胱にカテーテルを挿入して温水を流し込み、尿道を温めながら治療する。 

「ガスを止めて10分間待つ」前立腺内の温度をモリタリングしながら、凍結効果でがんが壊死するのを待つこと10分。再び氷の玉を作りまた待つ。これを3度繰り返して終了。

現在、この治療を受けられる方

 現段階で、この凍結療法を受けられるのは「放射線治療後に再発」してしまったケースに限られてる。新しい治療法なので、放射線治療と同等以上の安全性や信頼性が、まだ確立されていないためだ。また、針で行う局所的な治療のため、転移がないことも条件だ。だが、放射線治療を受けた後に再発した場合、もう一度放射線治療は受けられない。残される治療法は、体への負担が大きい全摘手術かホルモン療法に限られる。そこに、新たな選択肢が広がった。 

国の先端医療申請を目指す 

 三木「手術は、特に高齢の患者さんの場合、体力的に辛い。ホルモン療法も、患者さんは副作用でEDになってしまうことを何よりも嫌がります。また、治療期間が長くなると、骨粗鬆症や糖尿病、脳梗塞、心筋梗塞といった重い副作用が表れる恐れもあります。凍結療法なら、2~3時間の手術で終了。体への負担がなく、痛みもない。3泊4日の入院で済む上、冷やし過ぎなければ男性機能も保てる可能性があり、重い副作用はありません。」

 三木医師は、今後1年以内で4人程度の患者に凍結療法を行い、安全性や有効性を確かめ、国の先端医療に新生したい考えだ。 

 「安全性を保障するデーターが揃えば、将来的には早期がんの患者さんにも行えるようになるでしょう」と三木医師は語る。 

~がん克服のために~

がん克服【無償の愛】凄腕の口腔外科医


岩田雅裕(いわた まさひろ)先生

 1960(昭和35)年 兵庫県生まれ 55歳

 1986年 岡山大学卒業後、岡山大学附属病院口腔外科・広島市民病院口腔外科・岡山赤十字病院口腔外科・琵琶湖大橋病院口腔顎面外科・岸和田徳洲会病院口腔顎面外科・宇治徳洲会病院口腔外科等に勤務 36歳の若さで口腔外科部長を務めるほどの凄腕医師。

安定な生活を捨て、フリーランスに

東南アジアで無償の治療を開始

 2001年(平成13年)、カンボジアを旅行中、NPOが運営する小児科病院にたまたま立ち寄った。その数か月後に再訪した折執刀の依頼を受け、これが活動のきっかけになる。ベッドの数は全く足りず、検査機器も十分でない。医療施設とは言えない建物。屋外や学校の机上で診察が行われることもある劣悪な医療環境。このような過酷な現状を見て放っては置けないとの思いが募った。

 口の中に発生する様々なトラブル。ご飯が食べられなくなったり、連日の激しい頭痛。虫歯の膿の溜まる場所によっては、脳に達して死に至ることもある。

 しかも、医師や医療機関の不足に加え、カンボジアの平均月収は1万円にも満たないという深刻な貧国。途上国の人たちが、満足な治療を受けられない理由の原因はここにある。

 そんな人たちを助けたいという一心で、岩田医師は総合病院の口腔外科病院部長という安定した地位と収入を捨て、カンボジアに向かう。しかも、活動は個人的で行い、渡航費用や滞在費は全て自費で賄う。

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

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