がん克服 【がん化の要因の一つ解明】


毎日新聞 2012年10月16日 朝刊

生物の生存に欠かせないエネルギーを作る細胞内の小器官「ミトコンドリア」の機能が落ちると、周囲にある良性の腫瘍ががん化することを、井垣達史・神戸大准教授(遺伝子学)がショウジョウバエの実験で確かめた。機能の落ちた細胞から炎症作用などのあるたんぱく質が分泌され、異常増殖や転移が進んだ。がん治療の新たなてがかりになる可能性もある。

がんは、細胞内の遺伝子が傷つくと発生する。だが他にも発生経路があり、予想以上に複雑な仕組みでできていることが近年の研究でわかってきた。がん細胞ではミトコンドリアの機能が落ちやすいことが知られているが、それが何を引き起こしているのかは不明だった。

そこで、遺伝子操作でハエの体内に良性腫瘍を作り、その一部の細胞でミトコンドリアの機能低下と、「Ras」という膵臓がんなどにつながる遺伝子の活性化を同時に起こす実験を行った。すると、その細胞自身ではなく周辺の良性腫瘍が異常な増殖と転移を始めるなどがん化した。

原因を調べると、2種類のたんぱく質が分泌され、周辺細胞のがん化を促していた。うち1種類は、哺乳類でリウマチなどの炎症作用のあるインターロイキン6の仲間だった。井垣さんは「ミトコンドリアの機能低下は、がん化の要因の一つと考えられる」と話す。

成果は、英科学誌ネイチャー(電子版)に掲載された。

がん克服 【がん細胞だけ狙い撃ち・ウイルス療法の可能性】


2012・10・11(木)毎日新聞夕刊 繰り返し投与可能・再発予防にも効果・実用化「最短3年」

がんの約5割は治る時代になったが、いまだに致死率の高いものもある。そんな難治性のがんを、人間の宿敵のウイルスを使って殺す画期的な新治療の開発が進んでいる。どんなメカニズムで施され、何が優れているのか。人での臨床研究に入った最先端治療法の可能性を探った。

「がんのウイルス療法は、正常組織にダメージを与えず、がん細胞だけを死滅させる治療法です。近い将来、手術、放射線、抗がん剤の3大治療に並ぶ治療の選択肢の一つとなるはずです」。東京大医学研究所教授(脳腫瘍外科)の藤堂具紀さんが語る。がんを破壊する遺伝子組み換えウイルス「G47デルタ」を01年に開発した藤堂さんは、悪性腫瘍の一つこう芽腫の患者に投与する臨床試験を進めている。

G47デルタは、単純ヘルペスウイルス1型の遺伝子を操作し、がん細胞の中だけで増殖するよう改良したウイルス。単純ヘルペスウイルスは成人の役8割が持ち、疲れたときなどに唇やその周辺に口唇ヘルペスと呼ばれる水ぶくれをつくる。たびたび症状に悩まされる人にはやっかいなウイルスだが、遺伝子工学の力で改変し、がん治療の切り札として使おうという動きが世界中で進んでいる。ヘルペス以外では風邪の原因のアデノウイルスや、はしかのういるすを使った研究もある。

なぜウイルスががんに効くのか。藤堂さんが解説する。「がん細胞には元々、正常細胞に比べてウイルスに弱いという性質があり、感染するとウイルスがよく増えます。というのも、正常細胞がウイルスと一緒に自滅して体を守る仕組みを持つのに対し、がん細胞にはそういった機能が無く、一度感染するとウイルスの増殖を止められないからです。G47デルタはがん細胞を餌とし、感染と破壊を繰り返しながら猛烈な勢いで増えていくので、がん細胞の塊自体を死滅させることができるのです。

がんがウイルスに弱いことは、実は100年も前から研究者の間で知られていたという。だが野生のウイルスを大量に投与すると、がん細胞を死滅させる前に感染症によって臓器の機能が脅かされてしまう。がん治療としての可能性が高まったのは、遺伝子工学の進歩でG47デルタのように正常組織を傷つけず、かつ野生株に戻りにくいウイルスを作れるようになったおかげだ。

投与方法はいたってシンプル。液体に入ったウイルスを、注射器で腫瘍内に注入する。藤堂さんらは患者の頭蓋骨に小さな穴を開け、G47デルタを直接、腫瘍内に投与している。発症すると平均余命1年前後とされるこう芽腫だが、投与後に進行が止まり、2年以上経っても元気に過ごしていたり、腫瘍そのものが消えたりした例もあるという。

「抗がん剤や放射線はがん細胞だけでなく骨髄などの正常細胞もたたくため、免疫力の低下や肺炎、貧血などの副作用を起こして治療が続けなくなることがありますが、ウイルス療法は骨髄にダメージをあたえず、同じ場所に繰り返し投与できます。ウイルスががん細胞を壊す過程で起きるがん免疫の働きで、遠く離れた転移がんにも効果があることが分かっており、再発防止のメリットもある。白血球などの血液のがんを除き、乳がん、肝臓がん、頭頸部がんなどほとんどの固形がんに応用できるはずです」(藤堂さん)

本当に効果が高く副作用も少ないことが実証されれば、がん患者には福音だが、実用までどのくらいかかるのだろうか。「非常にうまくいって3年ですが、臨床試験を始めてから承認されるまで10年以上かかるケースもあります。何とか早く製薬会社の協力を得て、多くの患者さんが使えるようにしたい」と藤堂さんは話す。

欧米では、悪性黒色腫(皮膚がんの一種)を対象にした遺伝子組み換えヘルペスウイルス「ONCOVEX」の臨床試験が、薬として承認される一歩手前の第3相試験まで進んでいる。またバイオ企業のタカラバイオ(本社・大津市)は米国で、悪性黒色腫や頭頸部がんなどの固形がんを対象に、名古屋大名誉教授(ウイルス学)の西山幸広さんが発見した単純ヘルペスウイルス1型の変異株「HF10」を使った第1相試験を実施している。

日本癌学会理事長で癌研究所所長の野田哲生さんはこう指摘する。「G47デルタによるこう芽腫治療では劇的に効いたケースがあり、ウイルス療法全般に対するがん患者の期待は大きい。今後、未知の副作用が現れないかなどのクリアすべきハードルはあるものの、免疫療法などと共にがん治療の新たな選択肢となる可能性は高い。ただし、新たな治療法であるだけに、従来とは違った審査・承認の基準が必要になると思われます。その速やかな確立を国や研究者が後押ししていく必要があるのではないでしょうか」

ガン征圧の「武器」を増やすために、研究の成果が待たれる。

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