がん克服 【脳の病の最後の砦】全国トップクラスのドクター
- 2015年10月13日
- がんの名医
旭川赤十字病院脳神経外科顧問 禎心会脳疾患研究所所長
上山博康(かみやま ひろやす)先生
1948年 青森県生まれ。
1973年 北海道大学医学部卒業 同大学脳神経外科入局。その後旭川、釧路、美唄などの関連医療機関で6年間研修した。旭川赤十字病院で研修中には毎晩顕微鏡を使い、ネズミの血管を縫う練習をした。その後、函館の国立療養所に脳神経外科を開設するため赴任した。
若いころから手先は器用で、手術には自信があった。29歳の時、一人の医師の手術を見て衝撃を受ける。
伊藤善太郎、全国的に知られた脳卒中のエキスパート。流れるような針の捌きに上山は目を見張った。自分もこんな手術が出来るようになりたい。
1980年 伊藤善太郎に弟子入りするために、国立療養所から秋田脳血管研究所へ転勤し伊藤のもとで働くことにした。伊藤の手術に立ち会い、その技術を懸命に学んだ。
伊藤からは技術の他、医師としての心構えも学んだ。「患者さんは命を懸けて医師の許にやって来る、だから医師もかくごがいる」それが上山の信念となった。
1985年 伊藤は志半ばで急逝する。上山は伊藤の死後北海道大学に戻り脳神経外科の助手になる。その後、脳動脈瘤手術数でギネスに登録される経歴を持つ、藤田健康衛生大学の佐野公俊に手術の相談や指導を受ける。
匠の手を持つ脳外科医 その腕を頼りに
全国から患者が集まってくる
そして旭川赤十字病院の脳神経外科部長になり、「患者さんが人生をかけてやってくる、僕は医師の命を懸ける」をモットーに自分の力が必要と言われれば日本中の病院に足を運び、脳血管手術や脳腫瘍の摘出手術など手がける。脳動脈瘤のクリッピング手術では年間300件以上/累計20000件ほどの手術をこなし、「脳血管に関わる手術で日本一」「匠の手を持つ脳外科医」と呼ばれるようになり、全国から患者が訪れるようになった。手術器具の開発にも力を入れ、特に上山式ハサミは今や全国の脳外科医がつかっており、上山が描いた脳外科手術のイラストも医学書に使われている。
「神の手」福島孝徳先生も絶賛
世界中から「神の手」「ラストホープ(最後の切り札)」と呼ばれる脳神経外科医・福島孝徳先生も、「もし僕が脳血管の手術を受けるなら上山先生にしてもらう」と発言するなど、その技術は同じ脳神経外科の先生の中でも際立って賞賛されている。
~がん克服の為に~
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